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2021年6月2日水曜日

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肺がん タバコ 三遊亭円楽 青木さやか 広田レオナ

 三遊亭円楽の記事は全て読売新聞のサイトからの引用。

2021年3月20日
[落語家 三遊亭円楽さん]肺がん(1)父も祖父も師匠も…「俺んとこにもきたか」
 日本テレビ系の人気番組「笑点」のメンバーになって44年。おなじみの落語家には、全国からお呼びがかかる。年150日は各地の落語会に出かけてきた。
 2018年の8月、スケジュールの合間をぬって休みを取り、毎年の検診で経過を見ていた十二指腸のポリープを切除するために入院した。
 その際に、コンピューター断層撮影法(CT)検査も受けた。ポリープに問題はなかったが、「ちょっと気になるんです」と言うのは呼吸器科の医師だった。気管支鏡で組織を取って病理検査をすると、肺がんとわかった。
 2人に1人ががんになる時代だが、「俺んとこにもきたか」と思ったのは事情がある。58歳で亡くなった父親は肺がんで、祖父もそうらしい。年子の兄は68歳で 膵臓すいぞう がんで逝った。「DNAに何かあるんでしょう」。おまけに師匠の先代円楽が09年に76歳で亡くなったのも肺がん。
 「でも、医療は進んでいるし、これで死ぬかも、とは思わなかったんだよね」
 がんは初期というわけではなく、右肺の中で少し広がっていて、「2~3A期」の診断。放射線治療という選択もあるが、体力もあり、「根治を目指して手術にしましょう」と医師は言ってくれた。
 肺がんは日本のがんで最も死亡者数が多いが、治療は進んでいる。「いいタイミングだった」。進歩の恩恵を実感することになる。

2021年3月27日
[落語家 三遊亭円楽さん]肺がん(2)高座で「この話、こういう流れだっけ?」…脳に転移
 肺がんが見つかって、2018年10月5日にダビンチという機器でロボット手術を受けた。
 内視鏡の手術が進化したもので、医師は操作ボックスに座って、3次元画像を見ながらロボットアームで手術をする。きめ細かな操作ができ、体に開けた6か所の小さな穴から器具を差し入れるので、体への負担が少ない。肺がんには、同年4月に保険適用されたばかりだった。

「見える限りのものは取りました」と言われてひと安心。右肺は三つに分かれているが、上葉を切除した。術後はどうしても息苦しくなる。が、手術後1週間で退院し、翌日には独演会と寄席で計3席こなした。

「苦しくないわけじゃないけど、落語ができるのがうれしくてね」。医師もあきれて笑っていた。
 翌月から3週間に1度の抗がん剤治療が始まった。「気持ち悪いぐらいで、それほどつらい副作用はなかった」。落語、時々趣味のゴルフの日々に戻ることができた。
 異変が起きたのは翌19年5月末。高座で何か変だと感じた。「この話、こういう流れだっけ」。今まで感じたことのないモヤモヤ感。マネジャーも「なんかおかしい」と言う。
 7月、MRI(磁気共鳴画像)の検査を受けた。脳画像の前方に丸い影。「脳腫瘍ですね」。肺がんの転移だった。その時の気持ちをシャレでネタにした。「あの時は、のうしよう(脳腫瘍)と思った」

2021年4月10日
[落語家 三遊亭円楽さん]肺がん(3)リンパ節にも…薬で治療
 2019年7月に見つかった2・5センチの脳転移に対して、ガンマナイフという放射線治療を受けた。ピンポイントで病巣に照射できるので副作用はほとんどないという。1回15分ほどの治療は3日で終わり。ただ、感染を起こしたこともあって、入院は1か月かかった。それでも最後の10日間は外出許可をもらって、国立演芸場の8月の寄席に出た。
「初日は声がかれたんですけど、脳転移のモヤモヤが消えて、湯水のごとく言葉が出てくるんですよ」。連日、50分の熱演。じっくり聞かせる「 浜野矩随はまののりゆき 」など好きな話を思う存分にやった。落語家の仲間たちも心配で見にきた。
 外出許可がうれしいのは、落語ができるだけではなく、弁当を買って帰れることもあった。「悪いけど、病院の飯、合わなくてね」。退院翌日、20日の千秋楽には仲間たちと祝杯を上げた。「呼吸器の病気だから酒はいいんだよ」
 実は、この時に見つかっていたのは、脳転移だけではなかった。 頸けい部ぶ のリンパ節にも二つの転移があった。このため、9月から月に1度の薬物治療が始まった。
 薬の名はキイトルーダ。高額で話題になったオプジーボと同系統の新しい免疫療法の薬で、保険で使えるようになったのは17年から。3か月に1度の検査でリンパ節転移の縮小が確かめられている。
「病気がいたずらしても、治療法はあるものだね」

2021年4月17日
[落語家 三遊亭円楽さん]肺がん(4)副作用あっても高座は大丈夫 落語の種まく気持ちがあるうちは
 2019年9月から、月1度、免疫治療薬のキイトルーダの治療を続けている。
「副作用はありますよ。吐き気と食欲不振と 倦怠けんたい 感。隔週でつらい週がある。体重も毎月3キロ前後増減します。でも、高座は大丈夫」
 2日に1度は全国を回って落語をする日々は、脳とリンパ節の転移が見つかってペースダウンし、昨年春、新型コロナで止まった。「お休みをくれたという感じですよ」。そんな時にカレンダーを見ていて思った。
 「歌丸師匠のせいなんだよね」。日本テレビ系の「笑点」でおなじみの歌丸さんは18年7月2日に亡くなった。そのほぼ四十九日に肺がんが見つかり、百か日で手術、一周忌で脳転移発見。「俺が病院に行くと、木久扇さんが言うんだ。『呼ばれてる』って。仲良かったけど、ほかのヤツを呼んでほしいなぁ」(笑)
 昨年秋からは、客席を半分にした状態で、少しずつ高座を再開してきた。「4勤3休という感じ」で、今はそれがいいペースだと思う。人との距離を意識して、趣味のゴルフにも行く。
 「病気があっても、病気で死ぬんじゃなくて、寿命で死ぬと考えてる。自分を育ててくれた落語界に恩返しするつもりで、地方にも落語の種をまく。そういう気持ちがあるうちは生かしてもらえると思ってるんですよ」。東へ西へと落語で駆け巡る。(文・渡辺勝敏)

2021年5月26日
[落語家 三遊亭円楽さん]肺がん(番外編)病気との人生は「ひと月単位」「3か月単位」だから自粛はつらい…俺にもう少し走らせてくれ
 日本テレビ系「笑点」でおなじみの落語家、三遊亭円楽さん(71)の肺がん体験について、「一病息災」(新聞記事をヨミドクターで再録)コーナーで紹介しましたが、さすが一流の 噺家はなしか さんなので、病気の体験とはいえ、興味深い話題とニュアンスのある話しぶりは魅力的でした。記事からこぼれ落ちてしまったお話をボツにしてしまうのはもったいないので、ここで紹介します。(聞き手・渡辺勝敏、写真・宮崎真)
 円楽さんの肺がんは、2018年夏に検診で見つかり、10月に手術を受けて、1週間で高座に復帰しました。ところが、翌19年7月には、脳とリンパ節への転移が見つかり、脳の腫瘍にはガンマナイフという放射線治療を受けました。その後、キイトルーダという最新の免疫療法薬の治療を毎月続けています。脳転移はなくなり、リンパ節の転移は縮小。治療直後から高座に復帰し、「笑点」でもゴルフ焼けした元気な姿を見せています。

毎年CT検査を受けていたが……たばこが原因じゃないタイプ
――もともと、健康管理は意識していましたか。
 うちのおやじは58歳の時に肺がんで死んでる。おじいさんもそうだった。そういうこともあって、CT(コンピューター断層撮影)検査を毎年受けていたから、見つかったわけ。逆に「ついてるな」と思ったね。師匠の先代円楽が09年に肺がんで亡くなって、それをきっかけにたばこはやめました。ただ、肺がんにもタイプがあって、私のは腺がんで、これはたばことはあまり関係がないと聞いてます。
――肺がんと言えば、日本人で最も死亡数が多いがんです。「肺がん」と言われた時は衝撃を受けましたか。
 「ああ、そうですか」という感じで、死ぬとは考えなかった。「先生、どうしたらいいでしょう」と聞くと、手術や放射線治療、化学療法と治療法はあるし、「根治を目指して手術をしましょう」って言ってくれたから、「お任せします」っていうことですよ。医療の進歩に助けられていますね。
 そうは言ってもね……。年子の兄貴はすい臓がんで68歳の時に亡くなった。闘病中もゴルフをやったり、うちに来てマージャンをやったり、飲める時には飲んで遊んだりしてました。ある時、「あんちゃん、大丈夫かい?」って聞いたら、「お前、大丈夫なわけないよ。忘れるためにやってんだよ」って。その気持ち、今はすごくよくわかる。病気を忘れるためにも高座はいいですね。

落語はナマが一番。それをやらせてもらえないのはつらかった
――新型コロナの緊急事態宣言などで外出自粛になるのはつらいですね。
 やっぱりこういう病気だから、ひと月単位、3か月単位、半年単位、1年単位で生きているんですよ。俺、時間がないかもしれないんだ。わかんないんだもん。だから好きなことをやらせてもらえないのが一番つらい。落語は、ナマが一番なんですよ。リモートなんかできないよ。ゴルフもそう。ちゃんと感染対策を取っていれば、大丈夫でしょ。フレイル予防にもなる。一時、「5人以上」の会食は避けてほしいとか言われてたけど、政治家もゴルフとマージャンはやりたいんだと思ったよ。(笑)

――新型コロナのせいで、高座が延期されたり、中止されたりでしたが、昨年の秋ぐらいからは、落語会を再開していますね。
 コロナもあって、4日働いて3日休むぐらいのペースです。昨日は札幌、一昨日は山形という感じです。化学療法の治療の後は、食欲不振や吐き気が出ますから、ちょうどいいですよ。ちょっと動くと肺が詰まるように苦しくなるような時があるけど、深呼吸をすると戻ります。酸素をはかるパルスオキシメーターを通販で買って使っていますよ。楽屋でも、疲れたらちょっと失礼して横にならせてもらう。このままいくと、筋力が低下するフレイルに気をつけなきゃいけません。だから、ゴルフはいいですよ。ボール打つから歩くんですよ。健康のバロメーターはゴルフと高座。

肺がんで呼吸が変わって早口が直った。人情噺をじっくり
――肺がんは、治療で肺を切除するので、どうしても心肺能力が低下しますが、落語の方は、長いお話もあります。体力の面では大丈夫ですか。
 亡くなった歌丸師匠は 誤嚥ごえん 性肺炎でちょくちょく入院していたけど、言ってました。「鶴」っていう落語があるんですよ。「つーーーーーーっと飛んできて」て言うの。「つー」がどこまで続くかで、自分の呼吸がわかるって。「鶴」もやりますけど、いい噺はほかにもあるので、落語でどこまで息が続くか見ていますよ。

 面白いのは、肺がんをやって呼吸がちょっと変わったんですよ。今まではポンポンとたたみ込むような話ができた。今は息が切れちゃうから、たたみ込まないで少しゆっくりやるようになった。自分の呼吸でやるから早口が少し直ったね。病気は全部が害じゃない。人情噺で思い入れがゆっくりできるようになったの。ぐっと抑え込む。

――がんとの付き合い方について特に意識していることはありますか?
 がん患者が一番怖いのは、再発転移ですよ。それ、もう経験しちゃったからね。先生は「また、出てきたらたたけばいいんだから」と言ってくれる。「モグラたたきですけど、どんどんいい薬が出てきているから、仕事ができる喜びで頑張ってください」って。病気がまたいたずらをして、弱っていって、そこで寿命だと思う。だから、まだ仕事ができて、ゴルフができてバランスよくしゃべれているうちは大丈夫だと思ってる。

――日本テレビ系の「笑点」には、27歳から44年出演されていますが、師匠にとってこの番組はどういう意味がありますか。

 芸人としては大きいですよ。どこに行っても高座に上がった時の安心感がお客様にあるんです。知名度や“知顔度”があるから、お客さんが知っていてくれる。笑点だけ見て、ツイッターなんかで「下手くそ」とか書かれることもあるけど、ちゃんとナマの高座を見ていただきたいですねぇ。出来、不出来はあるけど(笑)。

落語は最高のエンターテインメント、好きなことができる喜び
――最初の入院の時も退院翌日には独演会、脳転移の治療の時には、入院中に外出許可をもらって10日間、国立演芸場で高座を務めました。すごい責任感ですね。
 責任感なんかじゃないですよ。好きだからでしょ。自分が好きなことをできる喜び。それですよ。

――とにかく落語がお好きなんですね。
 日本人が考えた最高のエンターテインメントだと思っているんです。座布団の上、一人で小宇宙を作れるんだから。こんな芸事を考えてくれた先人に感謝ですよ。次にバトンを受け取る年下の良いヤツらがいっぱい出てきている。そのことの幸せ。でも、もう少し俺にも走らせてくれ。抜いていってもいいよ。もう、抜いていったヤツは何人かいるけどね。でも、まだまだ場面によっては俺が必要なところもあるから。現役を引退したらね。落語評論家になって、人の落語をきちんと評論したい。それと今もやってるけど、落語プロデューサーになって、全国で落語の会を企画していきたいね。

三遊亭円楽(さんゆうていえんらく)
 1950年生まれ、東京都墨田区出身。青山学院大学在学中に五代目三遊亭圓楽に入門。名前は三遊亭楽太郎。1977年、日本テレビ系「笑点」のメンバーに。81年真打昇進。2010年、六代目三遊亭円楽襲名。本業の落語で独演会を勢力的にこなすほか、多くのテレビ、ラジオに出演してきた。「博多・天神落語まつり」や「さっぽろ落語まつり」のプロデューサーも務めている。



三遊亭円楽、ラブホ不倫の相手とまた撮られた!! 涙の謝罪会見も「肉体関係続いてる」のウワサ
サイゾーウーマン2017年11月14日 11:45 
 昨年の“不倫騒動ラッシュ”の中でも、笑い交じりの謝罪会見を開いて注目を集めた三遊亭円楽が、またしても週刊誌のお世話になってしまった。当時不倫関係を報じられた40代女性と、現在でも交流頻度を変えずに会っているそうだ。もはや周囲の人々も、男女の関係であることは確信しているというが……。
 昨年6月、円楽の不倫をスクープしたのは「フライデー」(講談社)だった。落語界の大御所の“ラブホデート”報道は世間に大きな衝撃を与え、当人は直後、涙ながらに謝罪会見に臨んでいた。
「会見では謝罪の弁とともに、妻からは『仕事を頑張りなさい』と励まされたこと、さらには『今回の騒動とかけまして、東京湾を出ていった船と解きます。(その心は)コウカイの真っ最中』などと謎掛けを披露。全ての責任は自分にあると認めながら、笑いまで取ったということで、『謝罪会見の見本』などと、一部マスコミから称賛されていたものです」(スポーツ紙記者)
 そんな中、11月14日発売の「フラッシュ」(光文社)には、不倫相手とされた女性と円楽が、福岡県内でゴルフに興じるツーショットが掲載された。
「女性の宿泊先は、円楽の公演の宿舎となっているホテルで、円楽の落語も見に行っていたとされている。また、関係者の“2人の関係は仲間内では暗黙の了解”という証言からも、いまだ関係は解消していないことがうかがい知れます」(同)
 同誌の直撃に、円楽は「絶対ツーショットでは会ってない」などと、不倫を全否定。女性には「仲間意識」があるとして、周囲も理解を示していると釈明した。
「しかし『フラッシュ』にせよ、周囲の関係者にせよ、もう肉体関係はないと信じている者は皆無でしょう。昨年、同様に不倫を謝罪した桂文枝もそうですが、彼らには『女遊びは芸の肥やし』という考えが、今でも深く根ざしている。スポンサーの降板など、リスクも理解しているはずですが、本心は『なぜ批判されるのか理解できない』といったところでしょう。今回の記事は決定的な証拠を押さえられていないだけに、本人としてはひと安心なのでしょうが……」(テレビ局関係者)
 もうラブホテルにこそ二度と入らないだろうが、それでも次に決定的報道が出れば「終わり」となるだけに、あらためて自身の行動のリスクを認識してほしいものだ。



コロナ下、受動喫煙が3割増 外出自粛や在宅勤務が影響
国立がんセンター調査
2021年5月31日 11:00
 国立がん研究センターは31日、新型コロナウイルス流行による外出自粛や在宅勤務の影響で、たばこを吸う同居人からの受動喫煙が増えたと答えた人が33.7%に上ったとする調査結果を発表した。31日は世界保健機関(WHO)が定めた「世界禁煙デー」。同センターの平野公康研究員は「自宅にいる時間が長ければ受動喫煙の機会が多くなり、健康への影響が懸念される」としている。
 喫煙者はコロナに感染した際の重症化や死亡のリスクが高いことが示されているのに加え、生活様式の変化によるストレス増加で喫煙量が増えることが心配されている。同センターは今年3月、たばこを吸う人と吸わない人それぞれ千人の成人にアンケートした。
 同居人からの受動喫煙に関する質問では、同居人の喫煙の有無にかかわらず、回答が得られた吸わない人818人のうち「受動喫煙が増えている」と答えたのは10.6%だったが、喫煙する同居人がいる人に限ると33.7%に上った。
 喫煙者に吸う量が増えているかどうかを問うと、増えた人が18.0%で、減った人は11.4%、変わらない人は69.6%。喫煙量増加の理由はストレスが49.4%で、「職場は禁煙だが自宅は制約がない」が33.9%だった。
 マスクを外す機会のある屋内外の喫煙所では感染が拡大しやすいと考える人は全体の59.4%で、喫煙所の閉鎖に賛成する人は58.3%いた。
 新型コロナに感染した際の重症化リスクを減らすため「禁煙に取り組みたい」という喫煙者は25.3%にとどまり、「禁煙したいと思わない」の36.4%よりも少なかった。平野さんは「現在まだ吸っている人は、なかなかやめられない人が多いのではないか」と話している。〔共同〕

副流煙の有害物質、主流煙の数倍
 たばこの煙には多くの有害物質が含まれ、非喫煙者が他人の煙を吸い込む受動喫煙にも病気のリスクがある。成人では脳卒中や肺がん、子どもは耳や呼吸器の病気、突然死の原因になり、国内では推定で年1万5千人が死亡している。受動喫煙で吸い込む副流煙は、ニコチンなどの有害物質が喫煙者が吸う主流煙の数倍も含まれている。〔共同〕


青木さやか「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」
5/31(月) 12:01配信
婦人公論.jp
 青木さやかさんの連載「48歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、48歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、ギャンブル依存の頃を赤裸々に告白した「パチンコがやめられない。借金がかさんだ日々」が話題になりました。今回、「がん告知とがん手術」を経験した過去を明かします。
◆症状はまったくなかった
 2017年8月。東大病院で肺腺がんの手術をしていただいた。
 そこから遡ること3年前の2014年、人間ドックで肺に影があるとのことで再検査になった。再検査でもCTに写った数ミリの影は、がんとは判断がつかない。炎症かもしれないし肺炎の後かもしれない。大きくなったらがんの可能性が高いので、定期的にみていきましょう、となっていた。
 3年経ち、大きくなってきた様子をみて、「がんの可能性が高いので手術をしては?」ということになった。ただしがんだったとしても、この大きさからすると命に関わるようなものではないと思われるから、まだ定期的に検査をしながら様子をみることもできた。しかし手術をすることにした。
 理由は2つ。
 定期検診をしていき、大きくなりました、今すぐ手術しましょう、となったとしたら仕事に迷惑をかけるだろうということ。
もう一つは、みつけてしまった以上、不安材料を体にしまいながら生活するのは性格的に向いていないな、と思ったからである。
 肺がんというと、咳が出るとか胸が苦しいとか、そんなことがあるのかと思ったが、まったくなかった。
◆起きたらICUだった
 舞台稽古中に手術を決め、千秋楽の翌日に入院をした。
その前にやらなくてはならないことを片付けた。
○会社に病気のことと、病院を伝える
○娘の学校に、「しばらく娘はうちから通いません」と連絡をする
○元旦那さんに状況を伝え、できるだけ娘を預かってほしいのです、とお願いする
○ママ友数名に娘のサポートをお願いする
○保険会社に連絡する
○友人数人に伝える
 わたしは一人で入院をした。下着と歯ブラシセットと心療内科で処方されたお薬と小説数冊をもち、パジャマは病院に借りることにした。がん保険には入っていたが、がんの初期だと保険はおりないこともありますとの先生のお話もあり、個室には入らなかった。
 入院日に手術の説明を受け、多くの書類に目を通してサインした。翌日は検査をした。気管支鏡をした。肺のどの位置を切るかをしっかりとわかるために色をつけるのだという(VAL-MAP)。他にも検査をした。血液はたくさんとった。翌々日、全身麻酔で5時間程度の手術をし、右肺上葉にある右肺結節を切除した。術式は、胸腔鏡下右肺上葉区域切除、というものだった。
 起きたらICUだった。からだは動かなかった。声は出なかった。しばらく経つと強い吐き気がした。熱もでた。麻酔が合わなかったのかもしれない。それは手術翌日まで続いた。翌々日には、それらは少しおさまり、フラフラしながら廊下を歩いた。そのまた翌日に、むりを言って家に帰った。その翌々週、仕事に行った。翌々月、1ヵ月公演の舞台に立った。
 以上が状況報告であるが、気持ちの動きを入れていくと相当長くなりそうなので、割愛しながら伝えていきたい。
◆「これじゃ頑張っても死ねない」
 両親も母方の祖父も、がんを患った。
 身近な病気ではあったが、自分ががんだと告知されるとあまりにも驚いた。そして、
あまりにも軽く発表された。
「あ~、がんですね、どうします?」
 初老のお医者さんはパソコンを見ながら、わたしのほうに振り向きもせず言った。
それはまるで
「あ~、雨ですね、傘持ってます?」
 に、ほど近いテンションであった。
 わたしは思わず
「かるい」
と呟いた。

「え、何がです?」
「いや、がん、て言うの、軽いなって思いまして」
「まあ、これ、がんだからねえ~」
「あの、わたし、死ぬんでしょうか」
「死ねない死ねない、これじゃ頑張っても死ねない」
「かるい」

 がんの発表は、初老のお医者さんのお陰で軽やかに終わったが、1人車に乗ると、心臓がばくばくしてきた。
 がんだというのは現実らしい。倒れこみたい気分だが、まず考えなくてはならないのは、ひどく現実的なことばかりだった。
 入院中、娘のことをどうするか、お金はどれくらいかかるのか、復帰はいつできるのか、肺など切って舞台など出られるのか。
 わからない。
 とても不安だったが、手術をしていただくことになった、当時東大病院にいらした似鳥先生や周りの方たちにより、不安はある程度解消された。
◆何をしても楽しくない
 入院が決まり、報告しなくてはならない人への報告を済ませて一息ついた。これで、娘のこともその後の仕事のことも一旦安心、になった時、わたしは泣きたくなった。誰かにもたれかかって泣きたくなった。恋人がいい。でも相手がいなかったから1人で車の運転席で堰を切ったように泣いた。あとにもさきにも、がんのことで泣いたのはこの時だけだ。
 手術をするまでの間、毎日怖かった。心ここにあらずで娘とごはんを食べた。
 自分の病気を、ネットで調べた。生存率が書いてあったり、闘病記が書いてあったりした。それは、少なくともわたしの心を明るくするものではなかったから、
わたしはネットで病気を調べるのをその日でやめた。
 いつもみる景色は、いつもと違ってみえた。どこか違う世界にきたように思えた。
何をしていたって楽しめなくて、受験前みたいな気分だった。
 それでも、入院前に小川菜摘さんが連れて行ってくださったお寿司は美味しかったし、
カメラを向けられれば笑顔ができた。がんになっても街にでれば「健康そのものね」と
言っていただくことは多く、見た目ではわからないものだ、と自分をみて思った。
 よかれと思ってアドバイスをくれる人はいたが、耳に入ってこなかった。その相手が、気遣いが足りないとか、それは必要ないことだとか、そりゃ理由付けはいくらでもできるが、そうじゃない。
 結局のところなかったのは「私自身の余裕」だった。余裕さえあれば、どんなことを言われてもぜんぶぜんぶ、笑っていられるのに。
 わたしは、病気になって、いつにも増して余裕をなくしていた。
 入院当日、わたしは自分で車を運転して1人で病院へ向かった。


広田レオナ 肺がんであす手術と公表「生きるための手術です」 連ドラは降板
6/1(火) 21:44
 女優・広田レオナ(58)が1日、公式ブログ「明るい未来のための終活Blog」を開設し、肺がんを公表。「明日、肺ガンの手術します!」と2日に手術を受けることを明かした。出演を予定していた連続ドラマも降板したことを伝えた。
 「明日、肺ガンの手術します!」と題して、ブログを更新。「連ドラのお仕事がきていて、ちょっとアクションもあるので身体の痛みを取りたくて病院に行ったら…偶然、肺ガンが見つかったのです」と久しぶりの連ドラの仕事を前に、病院に検査のつもりで行ったところ、がんが見つかったことを告白。「生きるための手術です」とつづった。
 「術後、2~3ヶ月は痛いだろうから久しぶりの女優業は降りました さすがにアクションは無理かなぁ~って」と連ドラを降板したことも説明した。
 かつては愛煙家として知られた広田。「もう何十年もタバコ吸ってないのに肺ガンか…」とショックを受けたこともつづり、「ストレスに強いと思っていましたが案外弱かったんですね これからは我慢はやめます!好きなように生きないと」と宣言。「皆様、無事、戻ってきますのでこれから宜しくお願い致します」と前を向いている。
 広田は芸能エージェント「ジュデコン(正式名称はジュ・デテストゥ・レ・コンコンブル)」の社長を務めており、ブログでは「マネジャー業務と映画監督業務はすぐ復帰します」と記している。