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2023年3月9日木曜日

自己責任で食べてみました

 


2年半が過ぎていたけれども、もちろん、下痢や腹痛などは起こさなかった。





2023年3月6日月曜日

小説 霊園散歩




霊園散歩

第1部

 2019年3月末に60歳で札幌市内の総合病院を定年退職し、その後は働きもせずに家でブラブラと過ごしていた私の気楽な引退生活を完全に破壊したのは、2021年5月末のある夜にマーロンから掛かってきた1本の電話だった。
 庭の芝生の手入れをし、本棚の中や床に積み重ねられて置いてある大量の本を適当に読み、DVDや衛星放送録画で映画やオペラを楽しむだけといった安穏安逸なヤモメ生活は、そのたった1本の電話によって坂道を転げ落ちるように跡形もなく消えてしまった。
 もっとも、その1本の電話のかなり前から、私の最大の楽しみだった海外団体旅行というものは消えてしまっていた。新型コロナウイルスの世界的大流行により、定年後の最大の楽しみだった「毎月の海外団体旅行」は消滅していたのである。
 そして、そのマーロンの電話というものも、新型コロナウイルスのパンデミックと関係のないものではなかった‥‥というよりも、ある意味でその「騒乱」の中心部へと私を引き込むものだった。

 マーロンの本名は「栗山雅彦」というものだった。もちろん彼は純然たる日本人であり、いつだったか彼から聞いた話では先祖は熊本から十勝地方の開拓地にやって来たという。マーロンは私の大学医学部および内科医局の3年先輩であり、血液病治療の専門医にして指導医でもあった。1991年4月から3年間、これも札幌市内にある「移植病院」で私はマーロンと一緒に働いた。正確に言うと「一緒に」というよりも、マーロンの「部下として」私は働いたのである。
 その「移植病院」というのはベット数が300近くある大きな病院で、もともとは血気盛んで優秀な大学の外科医たちが数人集まって、「肝臓移植のできる病院」として設立したものだった。医学部外科教室の講師や助手の地位を投げうった彼らは、莫大な借金を背負って1985年にその移植病院を開設した。しかし残念ながら実際には肝臓移植の機会は巡っては来ず、代わって腎臓移植と骨髄移植の実績を病院は積み重ねてゆくことになった。
 アメリカの西海岸で数年間、実際の骨髄移植による治療に携わってきた内科部長を指導者とする血液内科チームが、移植病院で白血病など血液疾患の治療にあたっていた。その内科部長に招かれるかたちでマーロンが移植病院に移ってから3年後に、私は所属する大学の医局の人事のひとつとしてその病院で勤務することになり、マーロンと出会ったのである。
 マーロンというニックネームはもちろん、「栗」から来ている。創設間もない「若い病院」に集まった若い看護婦たちは、医師たちと和気藹々と医療をしていた。国立病院や市立病院のような古くからある大病院には決まって見られるような、硬直した官僚組織の冷たい雰囲気といったものは移植病院には微塵もなかった。何よりも患者のためになるチーム医療の実現を目指していた。死んでゆくような重症の患者が多かったからである。そうした患者の前では、まともな医療者なら常に、「何が患者にとってベストなのか」を考える。
 看護婦と医師の距離も近く、看護婦が医者をニックネームで呼ぶことも珍しいことではなかった、少なくとも内輪のあいだでは。
 看護婦が「看護師」と名称変更されたのは、2001年からのことである。だから今でも、あの当時のナースたちを思い出すと、私は「看護婦」と呼んでしまう。移植病院の看護婦たちは、たいていは医者の苗字を簡略化してニックネームにしていた。私の場合は、「杉田」なので「スギちゃん」である。しかし、ドクター栗山を「クリちゃん」と呼ぶにはさすがに抵抗があったのだろう、それはどうしても女性性器を連想させてしまうこともあるだろうから。そのため「栗」の英語名の「マロン」がニックネームとして使われ、より呼びやすく最初の「マー」にアクセントを付けて「マーロン」となったのだという。そんなことを酒の席で看護婦たちの一人から私は説明されたことがあった。その説明を聞かされるまでは、私はマーロンというニックネームは「マーロン・ブランド」に由来するのだろうと思っていた。そう思わせるくらいマーロンは格好良かったのである、顔は髭だらけではあったけれども。

 移植病院で勤務を始めてひと月と経たないうちに、私も看護婦たちから気安く「スギちゃん」と呼ばれるようになっていた。当時私はまだ32歳であり、同じ年代の看護婦や年上の看護婦も多かった。年季の入った看護婦から見れば、私などまだヒヨッコ医者に過ぎなかった。
「あらスギちゃん、おはよう。5号室の斎藤さんね、今朝から吐いてるから診に行ってよ」といった具合に年配の看護婦から命令されることは毎日のことだった。そして私も気安く看護婦と言葉を交わせるようになっていき(当時は酒場での飲み会というものが、今思い返すと異様なまでに頻繁に行われていた)、たまには減らず口も叩くようになっていた。
「おいおい、スギちゃんなんて呼ばないでさ、どうせなら『スギさま!』って声を掛けてほしいね、イナセなお兄さんにでも声をかけるように。そしたら流し目で応えてあげるよ、『何か御用ですかい、そこのおきれいなお嬢さん』」
 私が調子に乗って俳優・杉良太郎のモノマネをしていたその瞬間、後ろから嘲るような声が掛かってきた。
「スギさまだってー? スギちゃんにはそんなのまだ100年早いよ!」
 驚いて振り向くと、看護婦で主任のヒヤマが立っていた。身長163センチでスタイルが良いうえに、大きな瞳が魅力的な看護婦だったのだが、いつも口調はキツかった。
 ヒヤマは私より3歳年下で、移植病院創設期以来の古株だった。結婚し、一人息子をもうけ、それから離婚していた。ヒヤマという姓は「火山」と書くのだけれども、その字面を嫌って本人がいろいろな書類に署名するときは、可能な限りいつもカタカナで「ヒヤマ」としていた。
「スギちゃん、さぁ、早く無菌室に行って。五十嵐さんが吐血してるから」
 いつもどこからか現れて、何かの重大事件や事故のときには必ずその現場にいると定評のある主任看護婦がヒヤマだった。


 マーロンから電話がかかってきた翌日の夕方、私は札幌駅の東コンコースにあるパン屋の喫茶室にいた。ここでは買ったパンをそのまま、店の奥の比較的広いラウンジで、美味しいカフェオレと一緒にゆったりと味わうことができる。私がショーケースの前で色とりどりのパンを選んでいると、いつの間にか背の高いマーロンが横に立っていて、カヌレを幾つか注文していた。
 マーロンの顔は髭だらけなのだが、清潔感がある。口髭も顎髭も頬髭もあるのだけれども、長くは伸ばしてはいない、せいぜい1センチだろう。映画俳優のジャン・レノを彷彿させるフルフェイスの髭である。身長180センチ、体重は移植病院で元気に働いていた頃なら90キロはあっただろう、ラガーマンのような偉丈夫だった。そのがっしりとした身体つきをしていたマーロンが、少し瘠せてしまっていたことに私はその日初めて気づいた。ラウンジに歩いてゆくマーロンを後ろから見ると、背中も尻も小さくなっていたのである。しかし、椅子に座り向かい合うと、そこには昔と変わらない、落ち着いた雰囲気の微笑を髭の中に浮かべている紳士のマーロンがいた。
 マーロンがカヌレを食べる姿を見ていた。マーロンを前にすると決まって、移植病院で働いていた3年間の日々のシーンがいつも脳裏を流れてゆく。
 そこは、生と死との細い境界線の上をヨロヨロと、しかし懸命に歩いている患者を多数抱えていた場所だった。絶えず心電図モニターの音が鳴り、人工呼吸器の重苦しい音が響き、タコの足の数以上のチューブやケーブルが重症患者に巻きついていた。死亡宣告があり嗚咽があり号泣がありストレッチャーの音が響いて消えてゆく世界。そんな中でいつも泰然自若としてジャン・レノ髭の向こうから優しい口調で語りかけてくる医者がマーロンだった。そしてその口調と同じように、銀縁眼鏡の向こうにある彼の瞳はとても優しかった。
 私はマーロンと「コンビ」を組んで、2人で常時30人近い患者を担当していた。胃癌や肝癌といった消化器系疾患の患者もいたが、殆どが急性白血病や悪性リンパ腫などの血液疾患の患者であり、若い患者が治療の甲斐無く死んでいくことも珍しくはなかった。だから、骨髄移植が成功して「完治」し、笑顔で退院してゆく患者を送り出した時はとても嬉しかった。そんな嬉しい日の夜はマーロンと私は病院近くの酒場で軽く呑んで帰るのを常としていたし、勤務を終わった看護婦がそこに合流することも珍しくはなかった。そうしたときにはヒヤマは必ず顔を出し、マーロンの横に座ってその場を仕切っていた。
 移植病院を辞めたあと、私は札幌市内の総合病院の人間ドックセンターに勤務した。癌治療に従事して疲労困憊する3年間、妻の理絵と長い旅行することは不可能だっし、何よりも「人の死を見つめてゆくこと」に疲れてしまっていた。新しい職場の人間ドックでは入院患者を診ることもなく、9時から5時までの単調な勤務だけであり、そこで24年間働いて定年を迎えた。暇な部署に希望して移ったことによって収入は半分になったけれども、自宅もあり子供もいなかったので家計の支出は少なかった。後年父が亡くなりまとまった額の遺産も入ってからは、私の場合は働く必要はそれほどなかったのである。
 マーロンは白血病患者の治療という、身体も心も休まることのない激務を続けていたのだが、そして50代半ばで副院長となっていたのだけれども、2018年に突然病院を辞職してしまった。副院長には定年はなく、働こうと思えば70歳やその先も働くことができたのだが、マーロンは移植病院を去って市内の小さなクリニックに勤務し始めた。そのクリニックは医局の先輩がやっているところで、マーロンは週に2日、午前中だけの外来に出るようになっていた。私はそれを知って、自分の血圧と高尿酸血症(痛風)の内服薬をマーロンの外来で貰うようにした。それまでも毎年終わりには2人で会ってススキノで忘年会をしていたが、3年前からはふた月に一度はマーロンの外来で顔を合わせることになった、私は患者として、マーロンは主治医として。
 どうして移植病院を辞めたのかと、その年の暮れの2人だけの忘年会の席で訊ねてみたのだが、彼はただ苦笑を浮かべて「疲れたのさ、寄る年波には勝てないんだよ」とだけ答えた。確かに酒の量も随分と減っていた。頑健だったマーロンも普通の人と同じように歳を取り、活動範囲も酒も少なくなるのだと単純に私は理解した。
 ふた月に一度薬を貰いに行っているマーロンの診察室では長い世間話などはできなかったが、それでも私は先月はどこそこの国に出かけてきたと旅行の話を少しはした。総合病院を定年退職する2年前から、年休を取ったりそれを休日に繋げたりという方法で、通常通りに働きながらも海外旅行を年に何回かするようになっていた。そして定年退職後はどこにも働きに出ずに、私は毎月のように海外旅行に出ていた。
 何も憂うこともなく、呑気な生活を当時の私は続けていた。マーロンは診察室で私の短い旅行話に微笑みながら耳を傾けてくれたし、年末の忘年会では『ハイデルベルクの嘆き男』や『リトアニアの風の美女』の話を興味深そうに聞いてくれた。

 マーロンからの電話が掛かってきた日には、札幌では新型コロナワクチンの大規模接種が始まって既に一週間の時間が流れていた。2021年5月下旬から始まっていた大規模接種である。札幌では札幌駅近くにある複合ビルと中島公園にある札幌パークホテルの2ヵ所の会場で実施されていた。ワクチン接種会場で働く医者の数が全国至る所で足りていないことはネットのニュースを読んだ私も知ってはいたが、それが自分と関係するようになるとは夢にも思ってはいなかった。
 その日、喫茶室でカヌレを食べ終えたあと、コーヒーを飲みながらマーロンは話し始めた。
「実はな、俺は新型コロナのワクチン接種の仕事を申し込んでいたんだ。ところが残念なことに、ここのところちょっと体調を崩してしまって、その仕事を断らざるを得なくなった」
「クリニックの外来の仕事をしながらワクチンの仕事をするつもりだったの?」
「クリニックは2日だけだし、ワクチンの仕事も2日だけやってみようと思っていたけれど、どちらも止めることにした。クリニックのほうは他の先生がいるからいいんだけど、ワクチンの仕事は人が集まらなくてな、しかも急に穴を開けてしまうことになった」
「まぁ仕方ないよ、体調が悪いんなら。身体を壊してまで働く必要はないさ」
「それでだ、俺は思い出したんだよ、暇で苦しんでいる医者が一人いたことを」
 マーロンはニヤリと笑って私を見た。私は反射的に舌を出した。
「ご冗談でしょ。僕ならお断りですよ、感染しないように街にはあまり出ないように気をつけてるんだから。まして何千人と集まるようなコロナワクチンの集団接種会場で働くなんてありえない」
 するとマーロンは例の優しい目つきで私を見たまま、諭すようにこう話した。
「おいおい、ビー・ジェントル(Be gentel. 優しくあれ)だよ、杉田。ビー・ジェントルを実践してみてくれないか、あの時みたいに?」

 ビー・ジェントル‥‥
 その言葉を初めてマーロンから聞かされた夜の記憶が私の脳裏に蘇った。

 加藤雄一は北海道庁の役人だった。かなりの地位にいた地方官僚であり、移植病院のマーロンの外来に入院治療目的で紹介されてきたときは54歳で、病名は急性骨髄性白血病だった。
 正直に告白してしまえば、私はこの加藤が嫌いだった。傲慢尊大を絵に描いたような男だったからである。胸骨から骨髄を引くときも、最初の局所麻酔の注射から不満そうに息を漏らし、骨髄液を引いたときなどには(患者は通常かなりの痛みを覚える)「痛くなくできないのか! あんた、ヘタなんじゃないか?」と罵声を浴びせられたことがあった。もっとも一度マーロンが加藤の骨髄穿刺をしたことがあり、私がやるよりもかなり痛かったらしく、それ以降はあまり文句を言わなくなった。マーロンは優秀な医者だったが、手先は少しだけ不器用だったのである。
 だから、患者の鎖骨下静脈を使ったカテーテル留置やダブルルーメン、ヒックマンカテーテル、胸水穿刺、腹水穿刺、髄液穿刺などなど、あらゆる手先の器用さを求められるベッドサイド手技は全て私が受け持つようになっていた。
 最初から私は移植病院を3年か4年で辞職するつもりでいたし、将来血液内科の専門医になるつもりもなかったが、マーロンと一緒に血液患者を診ていた。それだけではなく、胃癌や肝臓癌といった患者の担当も任されていて消化管の検査の腕を磨くようにも努めていた。胃カメラや大腸カメラといった検査の腕を磨いて、将来は一般病院でも働けるようにと考えていたのである。
 加藤にしてみれば、担当医はマーロンと私ではあるけれども、病状の詳しい説明をしてくれるのも治療方針を決めてくれるのもマーロンであり、私はといえばマーロンの「下働き」ばかりしているのだから、同じく医者であったとして2人に払う「敬意の度合い」は全く違ったものとなった。当然、私に対する態度も横柄になり、言葉遣いすら乱暴になっていった。
 そのために私は偉そうな態度を示す加藤を増す増す嫌うようになり、彼に対する私の対応もごく機械的で冷淡なものになっていった。恐らく、私のそうした態度に腹が立ったのだろう、加藤本人と奥さんの2人からある日、内科部長とマーロンのもとに私に関しての「苦情」が入ったのだった。
 その「苦情」がどういったものなのか、マーロンは私に詳しくは教えてくれなかったが、教えてくれなくてもだいたいの見当はついた。好感の持てない患者、はっきり言ってしまえば嫌いな患者に対して、私は顔つきや言葉の端々にそれを出してしまっていた。それはあからさまのものではないし、医療の内容がそれによって些かなりとも変わるものではないのだが、やはり苦情を入れられても仕方のない欠点であることに間違いはなかった。
 その日、マーロンは仕事が終わった後に「どうだ、ちょっと一杯やらないか」と私を誘った。既に午後9時を過ぎていたが、着替えて病院前でタクシーをつかまえればほんの10分ほどでススキノの酒場街に到着する。
 マーロンの好きなカウンターだけのバー、女っ気の無い、年老いたバーテンダーが一人で切り盛りしている店に入った。そこはそれまでにも何度かマーロンと一緒に酒を飲んだ場所だった。カウンターの左端の席に座ると、マーロンはいつものようにサイドカーを注文した。私はマッカランの水割りを頼んだ。
 マーロンは加藤夫妻から前日に苦情が入ったと私に告げた。具体的に何か私の行為が怒りの引き金を引いたのではなく、よそよそしい態度、顔つき、口のききかたが彼らの神経に触るのだという。なるほど、と私は思った。もし私が加藤の立場なら同じように感じて同じように苦情を言っていただろう、何しろ私は加藤が大嫌いなのだから。
 私はマーロンに、医療行為は適切にやっていると弁明した。マーロンには言いはしなかったが、マーロンがやるよりも3倍も上手く骨髄穿刺や脊椎穿刺をしているし、鎖骨下静脈へのカテーテルも何もかも問題なくこなしていた。マーロンには「やるべきことはちゃんとやっているはず」とだけ話した。
 マーロンはしばらくの沈黙の後、カクテルグラスを眺めながら、突然こんな話を始めたのだった。
「サンフランシスコに行っていたとき、俺のボスはユダヤ人だったんだよな。とても敬虔なユダヤ教徒だった」

 マーロンが1年間、サンフランシスコの大学病院に留学していたことは私も知っていた。移植病院で働き始めてから1年後、内科部長の紹介で部長が以前数年間働いていた大学病院に研究員として留学したのである。研究員はとても暮らしてはいけないほどの薄給なので、留学している間も移植病院が普段通りの給料をマーロンに渡していた。マーロンはそこで骨髄移植の最先端治療を学んでから札幌に戻ってきた。
「そのユダヤ人のボスの家に何度か招かれたことがあった。どういうわけか、俺はボスに気に入られていた」
 マーロンを嫌うような人間はいないだろうと私はぼんやりと思いながら、水割りグラスの中で氷が音を立てるのを眺めていた。マーロンは続けた。
「ボスは家で飲むのが好きでね、ボスの自宅には素敵なバーカウンターがあって、いろいろなカクテルを作ってくれた。サイドカーがその中では抜群にうまかった。
 で、ある日ボスが訊いてきた、どういった話の流れだったのかは忘れたけれども、『マサ、お前は仏教徒なのか?』ってね。で、俺は正直に神もブッダも信じていないし、強いていえば無神論者に自分は入ると思うとこたえた。するとカウンターの向こうの、骨髄移植では世界的権威であるこの人なつっこい高齢のユダヤ人は、敬虔なこのユダヤ教徒は、ニヤリと笑うと、俺をしっかりと見ながら、瞳を見ながら、『実は私も強いていうと無神論者なんだ』と言ったんだよ。
 よほど驚いた顔をしていたんだろう俺はね、すぐにボスが付け加えてこう説明してくれたから。確かに自分はユダヤ教徒だけれども、神の存在を信じていた若い頃はもう遠い昔のことだと。そして神を信じなくてもユダヤ教徒でいられるのは、ユダヤ教でもっとも重要な教えに従っていればいいからだと。そしてその教えというのは、
『あなたが人にされたくないと思うことを人にするな』
 というものだと。これこそがユダヤ教の最も重要な教えだそうだ。神への愛と隣人への愛のうち、神を信じなくなったユダヤ教徒にはもう隣人への愛しか残っていないし、また、それで十分なのだと、ね。」

 私は手に持ったグラスの中で、マッカランの薄い琥珀色が水の中でゆっくりと舞っているのを眺めていた。氷が絶えず溶けてゆき、その透明の水の層と琥珀色の層が互いにダンスでも踊るようにグラスの中で舞っている。空を流れる雲のように見えた。耳に届いているマーロンの言葉の意味は、あの傲慢不遜で威張り散らしてばかりいる道庁の役人である加藤にも隣人愛を持てということなのかと思いながら。
 しばらく沈黙を続けていたマーロンが続けた。
「加藤さんはな、かなりの立場にいたらしい、役所では。このまえ見舞いにやってきた道庁の役人の一人と立ち話をしたけれども、こんな病気にさえならなければ間違いなく副知事になれていたはずの人物だそうだ。
 ちょっと考えてみろ、54歳の働き盛りの、官僚としてはトップの地位をほぼ手中に収めていた男が生死に関わる病気になり、毎日抗癌剤で吐き気と倦怠感に苦しめられてベッドでのたうちまわり、出世の見込みもなくなり、このままドナー(骨髄提供者)が見つからなければ死ぬかもしれないという状況の中にいる。すると毎朝主治医の一人である若いお前が部屋に入ってくるなり乞食でも見るような目つきで||」
「乞食でも?」
「いや、加藤さんの奥さんの表現だ。多分に被害者意識が入っているのだろうけれども、少なくともお前の態度は愛情のある態度とは到底言えない。何しろお前が加藤さんを嫌っているのは事実なんだから、それが態度や目つきに出てきても仕方のないことだろう。立場を逆にして考えてみろ、お前が加藤さんの立場でベッドで吐き気と痛みに眠られない夜を我慢し通した朝を迎えたとする。すると、息子ほども歳の離れた若いドクターが嫌悪感丸出しの顔つきで部屋に入ってくる、としたら?」
 ‥‥確かに、それは耐えられないだろうな、と私にも思えた。
 マーロンはサイドカーを一口啜ると、何か英語の文章を声に出した。聞き取れなかった私が首を傾げるとと、
「あなたが人にされたくないと思うことを人にするな、さっきのその言葉を英語で言うとそうなる。ボスに教わった唯一にして最高の英語のセンテンスだ。要するに汝の隣人を愛せよという意味なんだろうな、キリストの場合は更に一歩進んで汝の敵までも愛せよと言っている。でもそれら全てをもっと簡単な英語で表現することができるし、それが俺の唯一の信条でもある||ビー・ジェントル、優しくあれ。
 なぁ俺はな、優しくできないんなら医者という職業は辞めるべきなんだとさえ思っているよ」

 口調こそは「優しい」ものだったが、その言葉の意味するところはその時の私の心にナイフのように刺さるものだった。

「なぁ、杉田、どうせいつかはみんな死んでゆく、別れることになる。いつか別れることになるのならせめて一緒にいられる時間くらいは、人間は互いに優しくあるべきだとは思わないか? 誰にだって、まして患者に対してなら特に、な」


 その後加藤は寛解して退院した。私はといえば、あの夜のマーロンの話が効いたのだろうか、加藤に対して失礼な目つきも態度もするようなことはなくなっていった。どんなに彼がイラついて怒りの声や眼差しを向けてこようとも、今考えると当たり前のことだけれども、「同じ立場にいるのではない」ということを思い出すことができた。死の恐怖に苦しめられている患者に、ビー・ジェントルでいられないのだとしたら、マーロンの言う通り、医者を辞めるべきなのだろう。
 加藤はHLA(組織適合性抗原)の一致するドナーを見つけることができずに、白血病を再発し、抗癌剤の組み合わせを変えて再度寛解に持ち込んだものの、最初の入院から1年後には死亡した。最期のときには ICUで私が長時間心臓マッサージをした。まだ別れたくはなかった。せめて一度でも、互いに微かなものであれ笑顔を交わし合いたいと思った、やがて死んでゆく人間同士として。それができないままに別れるのは悲しい、そう思った。
 心臓マッサージを懸命に続けていた私を見ていたのは、彼の妻だった。遺体を病院の裏門から葬儀会社のワゴン車に納めて去ってゆくときに、見送りに出ていたマーロンに加藤夫人は深々と頭を下げた。それから同じくヒヤマに「お世話になりました」と頭を下げ、私に気づくと、驚いたことに私の前までつかつかと寄ってくると、「先生には本当にお世話になりました」と頭を深く下げたのだった。
 後日、マーロンと話をした。加藤夫人が葬儀などを終えて御礼の挨拶にきたときにこう話したのだという。杉田先生がICUで主人を生き返らせようと本当に一生懸命にやってくれたことに感謝している、と。心臓マッサージやボスミン心注、気管挿管、心臓電気ショック、ありとあらゆる蘇生を試みたが加藤は生き返らなかった。これが癌末期だというのなら私もそれほどまで執拗に蘇生を試みたりはしなかっただろうが、急変した加藤には息を吹き返す可能性が十分にあった。だから必死になって蘇生処置を続けていたのだが、その私の姿を加藤夫人は見て、それまで心にずっと抱いていたわだかまりが消えたのだという。
「加藤さん夫妻には子供がなくてな、仕事だけが主人の生き甲斐だったと言っていたよ」
 マーロンのその言葉に思わず私は呟いた。「僕にも子供はいませんよ」
 するとマーロンは、「俺にだっていないよ、でも愛する奥さんならいるけどな」そう言って、左手の薬指を私の目の前でヒラヒラさせた。
 薬指の金色のリングが眩しいまでに輝いた。

(続く)



資料 松田翔太 松田ゆう姫

松田翔太が空港でトラブル ガソリンバーナー持ち込みで係員と押し問答、飛行機は30分遅延
3/2(木) 7:15配信  NEWSポストセブン

 鳴り響く怒声に旅路を急ぐ人は振り返り、その声の主がわかると一様に驚いた。2月中旬の羽田空港。冬の北海道に向かうため、子供連れの家族やカップルであふれ返っていた空港内で、怒りと焦りの表情を見せていたのは、俳優の松田翔太(37才)だ。

「スラリとした長身のイケメンだったので顔をのぞき見ると、松田翔太さんで、びっくり。どうやら新千歳空港行きの飛行機に乗る予定だったみたいですが、荷物に関することで揉めているようで、係員と押し問答を繰り広げているように見えました」(空港の利用客)
 昨年はドラマ『ムチャブリ!わたしが社長になるなんて』(日本テレビ系)への出演や、ドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』(NHK)での兄・松田龍平(39才)とのサプライズ共演が話題を呼んだ翔太。そんな翔太が愛してやまないのがスキーだ。
「翔太さんは子供の頃、冬休みのたびに合宿制のスキー学校に預けられていたほど。しかも彼が好むのは普通のスキー場ではなく、リフトのない自然の雪山の頂上まで歩いて登り、そこから一気に滑り降りる『バックカントリー』というスキーです。

 20代のときは仲間と一緒にカナダの山奥で1か月ほどキャンプし、滑りまくっていたほどのマニアで、最近も冬になると忙しい合間を縫って滑りに出かけているみたい。今回も北海道の雪山を訪れる予定だったと聞いています」(翔太の知人)
 羽田空港でのトラブルのもとになったのも、雪山で利用するはずのアイテムだった。翔太の知人が話す。

「翔太さんはガソリンバーナーといわれるアウトドアグッズを荷物に入れていて、係員に呼び止められたようです。何人もの係員が対応し、『これは持ち込めないので、この場で破棄するか、飛行機に乗らずにお持ち帰りになるかどちらかにしてください』と事務的に説明されたようです」
 機内への持ち込み禁止物をうっかり荷物に入れたままで、係員に指摘され破棄するシーンはたまにみられる。ほとんどの乗客は素直に係員の指示に従うが、翔太の対応はまるで異なっていたようだ。

「よくよく話を聞くと、翔太さんが荷物に入れていたのは、キャンプなどで使う新品のガソリンバーナー。携帯用の小さなもので、使用する際に燃料を入れて点火する商品です。中に燃料の入っていない新品の状態であれば、機内への持ち込みが可能となり、一転、中に少しでも残留があるとなると持ち込みが不可となるもののようです。

 どうやら今回はその場で翔太さんが持っていたものが新品であるかどうか判断がつかなかったようで……。新品だと主張する彼と、少しでもリスクを避けたい航空会社との間で意見が衝突したのだと思われます」(前出・翔太の知人)
 一連のやりとりの影響でフライトが30分ほど遅延し、彼は搭乗できなかったという。

共演NGの俳優もいる
 父・松田優作さん(享年40)、母・松田美由紀(61才)、兄・龍平という芸能一家に生まれ育った翔太は、業界では“トラブルメーカー”として知られる節もある。

「とにかく気難しい役者として有名です。2016年の主演映画では、監督がOKを出したシーンに翔太さんが『納得がいかないから撮り直せ』と主張し、その後撮影を拒否してホテルに籠城したこともありました。こだわりが強いと言えばそうなのですが、プライドが高くナイーブな彼の性格を嫌って、共演NGを出している俳優もいると聞いています」(芸能関係者)
 翔太は若い頃から素行を注意されることがあったようだ。
「中学時代は札付きのヤンキーといわれていました。母親の美由紀さんが彼の結婚式のスピーチで『翔太はヤンチャで、手のかかる子でした』とこぼすほどでした。
 2007年には夕食のおかずのお肉を妹で歌手の松田ゆう姫さん(35才)と取り合った翔太さんがカッとなり、妹の顔を平手打ちした。そのまま兄妹でもみ合ううちにゆう姫さんが壁に後頭部を打ち付け、パトカーと救急車が駆けつける騒動がありました」(前出・芸能関係者)

 私生活では2018年4月に大横綱・千代の富士の愛娘でモデルの秋元梢(35才)と結婚した。だが、その直後から夫婦の間には微妙な空気が漂い始めたという。
「4年ほどの交際期間を経て結婚したのち、翔太さんは“俺様気質”を隠さなくなったそうです。とりわけ翔太さんから『敬語を使ってほしい』と言われたことに梢さんが驚いたみたいで……。彼としては“夫を立ててほしい”という意味だったのかもしれませんが、梢さんは戸惑ってしまいました。それから夫婦の間にはすきま風が吹き続け、昨年には別居報道も飛び出した」(前出・翔太の知人)
 ミステリアスな雰囲気で高い演技力が評価されている翔太。ストイックで天才肌な一面が、あらぬ誤解を生んでいるのかもしれない。とはいえ、今回の騒動については、彼にも言い分があるようだ。翔太の所属事務所はこう説明する。

「松田本人はトラブルではなく、航空会社のかたがたにご説明をしていた、という認識です。問題なのは、そのガソリンバーナーが新品かどうかを証明するものも手段もないことです。これは松田だけでなく多くの人が困る問題だと思います。

 飛行機の遅延についても、松田はこのガソリンバーナーが機内に持ち込めるものだと丁寧に説明をし、航空会社も確認をしていたため、時間がかかったのだと思います。結果的に松田は飛行機に乗れず、何本か便を遅らせてようやく出発できました。後日、航空会社からはガソリンバーナーが返却されたと聞いております」

 翔太にしてみれば、自分に落ち度はないといった思いなのだろう。これから雪山に行くのなら、ガソリンバーナーを携帯できないのは大打撃。抗議したくなる気持ちも理解できなくはない。一方、航空会社としては多くの乗客の命を預かる以上、どんな小さなリスクも見逃せない。万が一があってはいけないからだ。
 コロナ禍でマスクの着用をめぐって大学職員と客室乗務員が口論になり、大学職員が逮捕された事件は記憶に新しい。いずれにせよ、飛行機に乗る以上は航空会社に従うべきというのが大勢の意見ではないだろうか。
※女性セブン2023年3月16日号





歩きタバコの友人が怒鳴られ「逆ギレ」で賛否 松田ゆう姫「わーった、わーった」反論も...投稿削除
2022年05月27日21時08分 JCAST
   タレントの松田ゆう姫さんが2022年5月25日放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で友人の歩きタバコを注意され「逆ギレ」したエピソードを語り、同日深夜にツイッターで自身に対する批判に反論した。投稿は27日昼までに削除されている。

「『その怒り方はないんじゃないですか?』って怒り返した」
   松田さんは番組で「最近誰かに怒られた、激怒されたことがあるか」という質問に、通りすがりの男性に怒鳴られたことがあると語った。

「結構前ですけど、友達と2人で歩いていたんですよ。私が前を歩いていて、友達が電子タバコを歩きタバコしちゃっていて。そのまま進んでいたら、後ろからおじさんの怒号がブワッと聞こえて。『路上でタバコを(吸うな)!』みたいなすごい声して、心臓止まるくらいビックリして。ドキーッて」
   その後の展開をこう語っている。

「確かに歩きタバコを叱咤されてたんだけど。そのおじさんが70とか......70以上くらいのおじさんで、スタスタスターって歩いていっちゃったんだけど、怒鳴り声の恐怖がすっごく嫌で。そのまま、おじさんのところに行って『その怒り方はないんじゃないですか?』って怒り返した」
   「(おじさんのところに)行ったん!? ええっ!?」と驚く共演者のヒコロヒーさんに対し「だって、あまりにもショックだった。恐怖だったから。そんなことあるの? って」と追いかけた理由を語った。

   ヒコロヒーさんが「それさ、おじさんはなんて(言った)?」と聞くと、松田さんは「何か『うう~ん』とか言って、そのままスタスタスターって行っちゃった」と振り返った。
   番組MCの垣花正アナウンサーが「悪いのは確かに松田さんのお友達かもしれないけど、驚かされたというか、言い方にちょっと」とフォローすると、松田さんは「いきなりマックスの怒鳴り声で、あれはもはや暴力かなと思って」としていた。
「ゴジムでの発言に関して断面だけ見て判断してくるアンチの皆様」
   松田さんの発言をめぐっては「相手を怒るな、友達に怒れ!」「いきなり怒鳴る人がいますが、それが暴力行為だという意見には同意」「逆切れするこの態度が最悪だ」などネット上で賛否の声が相次いだ。
   放送後の26日までに、松田さんはツイッターを更新。番組内での発言に対する批判に対しての反論とみられる。
「ゴジムでの発言に関して断面だけ見て判断してくるアンチの皆様 よしよし、わーった、わーった しかないです。Get a life(編訳:放っておいて)」
   27日昼までに投稿は削除されている。



松田ゆう姫、友人の歩きタバコ怒鳴った人に怒り返す…生放送での炎上発言への批判にMX「真摯に受け止め」
2022年5月28日 8時0分スポーツ報知 
生放送でのその発言を聞いた瞬間、これは「炎上」の危険性がある―。まず、そう感じた。
 25日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・午後5時)。曜日コメンテーターのタレント・松田ゆう姫(34)が“暴走”した。
 この日の番組で「他人に激怒された経験があるか?」という話題になると「結構、前ですけど…」と前置きして、こんなエピソードを披露した松田。「友だちと2人で歩いていたんですよ。私が前を歩いていて、友だちが電子タバコ、歩きタバコをしちゃっていて。後ろからおじさんの怒号がブワッと聞こえて。『路上でタバコを!』みたいな、すごい声がして、心臓止まるくらいビックリして」と話すと、「確かに歩きタバコを叱咤(しった)されたんだけど、そのおじさんが70以上くらいでスタスタって歩いていっちゃったんだけど、その怒鳴り声の恐怖がすごく嫌で。そのまま、そのおじさんのところに言って『その怒り方はないんじゃないですか?』って怒り返したの」と明かした。
 共演のお笑いタレント・ヒコロヒー(32)が「えっ? 怒り返したの?」と驚くと、「だって、あまりにもショックだったの。恐怖だったから。そんなことあるの?って」と松田。ヒコロヒーが「おじさんはなんて言ったの?」と重ねて聞くと、「何か『う、う、う、うう~』とか言って、行っちゃった」と答えた。
 ここで、MCの垣花正(50)が「悪いのは確かに松田さんのお友だちかも知れないけど、驚かされたというか、言い方がショックというか」と言うと、松田は「いきなりMAXの怒鳴り声で、あれはもはや暴力だと思った」と答えた。
 普段なら番組を面白くするために多少の“あおり”を入れる垣花も「悪いのは確かにお友だち―」と口にし、これまで「まったく、お嬢様なんだから」と松田を上手にたしなめてきたタレント・小原ブラス(30)も黙り込んでしまう“笑えないエピソード”だった。
 松田の言葉をそのまま記事にした「報知WEB」にも、その言動への批判の声が集まった。
 「おじさんの怒り方も良くないけど、それに対して文句言うのは、まず歩きタバコを反省してから」
 「歩きタバコをしていた友達を止めずに怒ったおじさんに逆ギレですか…」
 「おじさんの方も言い方があった。誰でもいいから怒りをぶつけたかったのでは?」という突然、怒鳴った男性の行為を問題視した言葉もあったが、多くは歩きタバコという行為自体への批判の声だった。

 東京都の条例で路上喫煙が禁止されているように完全分煙が定着しつつある今、歩きタバコをする人はかなり減った。それでも、ごくたまに遭遇した際の不快感は確かにある。タバコを指に挟んで歩いている人を見て、その火が背の低い子どもの顔をかすめたら―。そんなことを想像して、ぞっとした経験は誰にでもあるのではないか。
 そして、大きな疑問が一つ。松田はなぜ、これほど無防備なのだろう?
 今年2月2日の同番組でもこんなことがあった。「あなたは理不尽にキレられたことがありますか?」というテーマについて聞かれた松田は「電車に乗っていて、コンパクトミラーを開けて、リップを塗っていたんですよ。そうしたら、おじさんがバーッと来て『電車の中で化粧なんてしてるんじゃねえ!』って怒鳴られたわけよ」と発言。
 「イラッとして『えっ、どうしてですか? なんでダメなんですか?』って聞いたの。しかも、リップだったし。そうしたら『みんなに迷惑かかってんだよ!』って言うから、さらにイライラして『ご迷惑でしたか?』って(電車内の)みんなに聞いたの」と続け、「だけど、結局、私が変な人扱いされて、みんなシカトですよ。全員、無視。シーンとなって、おじさんも降りてっちゃって、私だけ『えっ?』みたいな」と話した。
 この際も「電車内は公共の場。自分の部屋と勘違いしているのでは」などの批判の声が相次いだ。「いきなり怒鳴るおじさんも大人げない」という意見もあったが多くは松田の言動への不快感を示すもの。松田VSおじさんという構図が今回も繰り返されたと言える。
 2月の「電車でリップ」発言の際も1週間後の生放送で小原に「あなた、ネットで結構、炎上しているわよ」と暗に騒動について指摘され、「何? 知らない」と答えた松田。共演の作家・岩下尚史さん(60)にも「あなたには歌舞伎の家に生まれた女の子みたいなところがあるわよ」と、その浮き世離れした部分をやんわりいじられたが、「えっ? よく分からないな」と苦笑していたのを覚えている。

1989年に40歳で亡くなった俳優・松田優作さんと女優・松田美由紀(60)との間に生まれ、松田龍平(39)、松田翔太(36)という2人の兄も俳優という芸能一家に生まれ育った松田。繰り返される騒動が現すように、その独特の魅力が「天然」と呼ばれる自身の発言や行動の重さがあまり分かっていない自由奔放さにあるのは間違いない。今回の発言も「この話、ウケるかな?」と思って披露した節もある。ただ、その何者をも恐れない発言には他人の言動への不寛容さが跋扈(ばっこ)するこの時代において、常に炎上の危険性がつきまとう。
 だからこそ、彼女を生出演させる制作側にこそ慎重さが求められる。問題の2回の放送での番組テーマが「他人に激怒された経験があるか?」に「あなたは理不尽にキレられたことがありますか?」―。これは松田がコメンテーターの回に用意するテーマとしては、あまりにも無神経過ぎないだろうか。
 そのテーマについて事前の打ち合わせの段階で、話したい内容をヒアリングした上で本人に「そのエピソードは炎上の可能性がある。やめましょう」と助言するスタッフはいなかったのか。
 この疑問をそのまま、TOKYO MXにぶつけてみた。

 「ご指摘の点は真摯(しんし)に受け止めさせていただき、さらに身を引き締めて番組を制作してまいります」という、まさに真摯な言葉が返ってきた。

 各曜日に「よくぞ、この人を選んだ」と感心するようなコメンテーターが勢ぞろい。毎回、スレスレのコメントで番組を彩る「5時に夢中!」には他の番組にはない生放送ならではの魅力があふれている。だからこそ、生放送での問題発言発生後に収録放送への変更を余儀なくされた他の番組のようになってほしくない。
 エッジの効いた発言で話題を集めるのが番組の狙いであるなら、なおさら生放送のちょっとした発言が炎上するこの時代にタレントを守る配慮が局側には求められる。
 テレビ画面の向こうで共演者の固い表情と裏腹に、きょとんとした表情を浮かべる松田を見ていて、心底、そう思った。(記者コラム・中村 健吾)


自己責任で食べました



 部屋を掃除ていると、なんと、2年半以上前に賞味期限が切れたスニッカーズを発見した。
 開いて見ると、チョコレートは変色して、しかも香りは全く無い、パサパサしたものに変質していた。当然だろう、2年半以上も前のものなのだから。
 しかし、「物を大切にする」昭和生まれの私は捨てるに惜しいと思った。
 食べてみても、最悪、下痢をするくらいだろう。
 チョコレートが毒に変質していることはないだろう。
 というわけで、「自己責任」で食べてみた。
 食べて1時間経った今のところ、腹痛も下痢もおこしてはいない。
 ちなみに、スニッカーズの味は全くしない、甘いキャラメルクリームのところも、全く味は無かった。

 教訓:食べ物は賞味期限以内に食べるように注意する、今後は必ず。



中国製だったんだ。




 

函館国際ホテル








函館のホテルで「朝食戦争」再び、ビュッフェでイクラかけ放題…旅行サイトのランキングで人気に
2023/03/02 07:05 読売新聞
 北海道函館市内のホテルは競うように朝食を豪華にし、「朝食戦争」とも評される。新型コロナの感染拡大が落ち着き、観光客が再び訪れるようになっており、コロナによる落ち込みの巻き返しのために火花を散らす。各ホテルは、火付け役の人気旅行サイトのランキング上位に食い込もうと意気込んでいる。(安井良典)
 2月中旬の午前9時、「函館国際ホテル」1階。ビュッフェ形式の朝食ブースは、多くの観光客でにぎわっていた。
 人気を集めるのは、イカやサーモンなど好みの刺し身を選び、イクラもかけ放題のオリジナル海鮮丼だ。「ジュー」という音を出す鉄板では、シェフが牛ステーキを焼いていた。そのほか、当日作りたての湯豆腐や手作りパン、薬膳スープカレーといった変わり種まで常時約120種の料理が並ぶ。
 北海道外からやってきた家族と朝食をとっていた市内の会社員(27)は「海鮮に特化するのではなく、ほかの料理も充実しており豪華。市民も気軽に来られ、家族も喜んでくれる」と笑顔で話す。
 「函館の朝食」の人気に火を付けたのは、人気旅行サイト「トリップアドバイザー」の日本版だ。宿泊客の投票で決める「朝食のおいしいホテルランキング」が2010年から始まり、「ラビスタ函館ベイ」は11、12年と2年連続で日本一の栄冠に輝いた。以後も毎年上位に名を連ねる。
 それ以前は、JR函館駅前に広がる「朝市」に繰り出して朝食をとるのが観光客の定番だった。だが、ラビスタ函館ベイが注目を集めたことで、ほかのホテルも豪華朝食の提供を始めた。14年には函館国際ホテルが同ランキングの5位に入った。
 地元で 切磋琢磨せっさたくま した結果、20年4月に発表されたランキングでは、ラビスタ函館ベイが3位、函館国際ホテルが5位、「センチュリーマリーナ函館」が8位と、全国トップ10に市内の三つのホテルがランクインする快挙を果たした。いずれもイクラをはじめとした海鮮や作りたてデザートなどがビュッフェスタイルで楽しめる。
 3ホテルは函館駅近くにあるが、湯の川地区でも豪華朝食を売りにした「函館湯の川温泉 海と灯」が21年7月に開業した。
 21、22年はコロナの影響でランキングは実施されなかった。トリップアドバイザーは今年実施するか明らかにしていないが、ホテルは再開を待ち望む。
 函館国際ホテルの客足はコロナ前の水準に戻ってきており、佐藤則幸・総支配人は「海鮮だけでなく和洋中幅広くそろえており、外国人も含め幅広い層のニーズに対応している。今後もサイトの上位を目指していきたい」と意気込んでいる。
 ラビスタ函館ベイは、「ランキングも励みになるが、お客さまの声を 真摯しんし に受け止め、次回さらに良くなっていると言っていただけるようお迎えしたい」としている。
(引用終わり)


 ワインに詳しいわけではない。しかし‥‥。
 函館国際ホテルの朝食会場に置いてあったこのCARTA MAGNAのクラシコは、以前飲んだことがある。スーパーホテル石狩は、夜にアルコールを無料で食堂で提供している。食堂といっても朝食会場であり、夜はワインやウイスキー、日本酒、焼酎などを宿泊者に提供しているのである。ここで出ていたワインが、このCARTA MAGNAのクラシコだった。ワインに詳しくない私でも、今まで何百回となくワインを飲んだことがあるけれども、断言できるのは、このチリワイン以上に不味いワインは記憶がないということ。
 朝から酒なんか飲むなよ、という倫理的に素晴らしいメッセージを伝えるために函館国際ホテルはこの不味いワインだけを提供しているのだろう、そう考えれば納得ができる。





2023年2月23日木曜日

山本文 緒







1962年生まれ
2001年直木賞受賞
2003年うつ病発症
2007年『再婚生活』刊
2021年3月膵臓癌と診断され10月没

日々是作文(2004年・文芸春秋社)
(P322) 万人が一人暮らしをする必要はないことは確かだが、もし私が誰かに「一人暮らしをしようかと思っている」と相談を持ちかけられたら、きっと大賛成するだろう。それは私個人が一人暮らしで得たことの想像以上の大きさに驚いているからだ。
 十代の頃から、私は早く一人暮らしがしたいと思っていた。社会人になったらすぐ、と考えていたのだが、実際そうなっても踏み切れなかった理由はただひとつ、お金のことである。社会人になったばかりの私は大人っぽい洋服をいくらでも買いそろえたい盛りだったし、お酒が好きで友達や同僚と飲みにいくのが楽しく、しかも週末は同年代のボーイフレンドとデートをしていた。少ない給料は洋服と交際費でパーである。とても一人暮らしどころではない。
 やっと実家を出たのは結婚した二十五歳の時で、仕事の忙しい彼にかわって私が新居のアパートを探し、契約をして敷金礼金を払い、電気やガスや水道をひき、家具を買いそろえた。全て初めての経験である。最初は不安だったが、やればできるじゃないかという自信と達成感を持った。しかし最初は幸せだった結婚生活が、金銭的に余裕があるとは言えなかったので(もちろん楽しいことの方が多かったが)お金のことで喧嘩になったことが何度かあり、それが破綻の一因になった。
 その後六年で私は離婚し、一度実家に出戻り二年間住まわせてもらった。

2023年2月12日日曜日

冬の危険な抜け道

【速報】軽乗用車とトラックが正面衝突 軽乗用車の30代男性が死亡 北海道札幌市東区
2/12(日) 10:19 UHB 北海道文化放送
 2月12日午前7時30分頃、札幌市東区東雁来町で軽乗用車がトラックと正面衝突し「顔から血が出ている」などと警察に通報がありました。
 警察よりますと、軽乗用車を運転する30代男性が閉じ込められ消防に救助されましたが、病院で死亡が確認されました。
 現場は雁来大橋近くの豊平川沿いの市道で、現在警察などが詳しく調べています。



【検証】相次ぐ「抜け道」事故 凍結路面でスリップ 信号なくスピード出やすい 通勤ラッシュ時 特に注意
2023年 1月18日 16:12 掲載 HTB
 いわゆる「抜け道」での事故に、注意が必要です。厳しい冷え込みで路面が凍結し、スリップが原因とみられる事故が相次ぐ札幌市内の抜け道を取材しました。
ドライブレコーダー:「回っている、回っている。ぶつかった」。
前方を走る1台の車が、突然スピン。そのすぐ後ろを走っていた車もよけきれず、追突しました。この先でも、路肩に停まる2台の車が。車のバンパーが壊れていました。
ここは、札幌市東区東雁来の市道。豊平川の河川敷沿いを走る、いわゆる「左岸通」です。18日朝も、同じ道で車3台が絡む事故がありました。路肩に突っ込んだ2台の車の前には、バンパーが壊れたワゴン車が。
午前8時すぎ、白い軽貨物車が対向車線にはみ出しワゴン車と衝突、そのはずみで後ろを走っていた軽乗用車に衝突しました。この事故で、軽貨物車を運転していた60代の男性が軽いけがをしました。
ワゴン車の運転手:「対向車がスリップして、斜めになってこっちに突っ込んできた。やばいと思ってかわそうと思ったんですけれど、かわしきれなくて」。
路面は凍結状態で、取材中にも車がスリップしていました。国道275号から、分かれ抜け道として利用する人も多い道路。
佐藤俊記者:「比較的大きな道路は、路面状況も悪くありません」。
しかし、左岸通りに入ると…。
佐藤記者:「1本中に入ってみます。路面の上に雪が乗っていて、圧雪されているように見えます」。
さらに、事故が起きた現場近くでは…。
佐藤記者:「雪に覆われていて、少し滑りやすくなっています。信号もないため、スピードが出やすい状況となっています」。
警察によりますと、この通りでは特に通勤時間帯の事故が多いということです。信号がない抜け道ですが、より慎重な運転が必要です。

コロナワクチン

https://news.yahoo.co.jp/articles/122bf2bf8b93f0106448cc7f5a3f9adb1f10febe

「声を上げずにはいられなかった」...コロナワクチンは安全か? 医師たちの本当の声

2/11(土) 10:40 newsweek
<ワクチン接種に反対する声を「根拠なし」と切り捨ててよいのか。2つのニュースを受け、医師たちが語ったワクチンへの本当の評価とは>【山田敏弘(国際情勢アナリスト、国際ジャーナリスト、日本大学客員研究員)】
kovop58-iStock

新型コロナの対策として、ワクチンの有効性が議論になっている。

新型コロナが蔓延して3年が過ぎたが、やっと昨年から徐々に経済活動や社会生活が再開されるようになった。そのきっかけはワクチン接種が社会の安寧をもたらしたという側面が大きい。一方で、日本のウイルス学者や医師たちがワクチンの危険性に声を上げている。

注意が必要なワクチン接種後「魔の2週間」
ハーバード大学の人口・開発研究センターが2021年9月に公開したデータでは、世界68カ国の解析で、「ワクチン接種率が高い国ほど、感染率が高くなっている」ことがわかったという。

このデータは2021年のもので、今は当時のデルタ株などに加えてオミクロン株が広がっているが、この調査結果は現在のワクチン接種にも当てはまるのだろうか。

この医師は「オミクロン株以降、死亡者の7~8割は接種者です。大阪府のデータでも重症者のうち未接種は2割です。接種歴が不明なケースも多く、実際はもっと接種者の占める割合が多いかもしれません。付添の方々は病室に入室することが許可されないので、外来担当医が家族から接種歴を聴取しないと、本人が認知症のため接種歴が不明な例もあります。接種歴が不明なケースに接種済が含まれていると考えると、高齢者施設で4~5回目の接種を終えた方々がクラスターで次々と罹患し、死亡率も高くなっている現象が理解できます」と述べる。

さらに留意が必要となるのが、「魔の2週間」と呼ばれる事象だ。接種後2週間は、かえって新型コロナに感染しやすくなったことがわかっているのだ。例えばイスラエルでは、1回目の接種後14日以内の発症率は高くなったことがデータで示されている 。3回目のワクチンでも、イスラエルを例に見ると、接種13日以内に感染する人が多数出た。さらにデンマークでは、高齢者施設を調べたところ 、接種2週間以内に新型コロナに感染した入所者は1.4倍に、職員は2倍になっている。

実は、接種後2週間以内に感染したとしても、未接種とカウントされるのだそうだ。これは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)がワクチン接種していても感染を起こす「ブレークスルー感染」を調べる際、「ワクチン接種完了」を接種後14日以降と定義しているためだという。

ワクチンそのものの体への影響も懸念されている。新型コロナワクチンは、接種すると体内の細胞内で「スパイク蛋白質」が作られ、ウイルスを攻撃する抗体を作る。

「しかし」と、この医師は言う。「新型コロナワクチンに使われているメッセンジャーRNA型は、脂質ナノ粒子(LNP)に包まれています。それがワクチン接種後、筋肉接種部位にとどまるのはわずか25%だけで、残り75%は血中に入って、細胞内に入り込むことがわかっていると、オンタリオ獣医科大学バイラム・ブライドル教授(免疫学)は述べています。取り込まれやすいのは、副腎、骨髄、肝臓、卵巣、脾臓といった免疫系と、細胞分裂盛んな臓器です。こういう臓器でスパイク蛋白が生成されると、ミトコンドリアの断片化が起き、血球成分や卵子の生成が阻害される可能性が考えられます」

■ワクチン接種者の自然免疫応答が低下

またLNPには、それ自体に強力な炎症作用があるという。「メッセンジャーRNA型のワクチンは、人工修飾されていることで、自然免疫を活性化させなくします。米ペンシルベニア大学やオランダのラドバウド大学の論文によれば、現実に、接種者の自然免疫応答が低下をしていることもわかっています」と、この医師は言う。

ベルギー人獣医で世界的なワクチン権威のウイルス学者であるギアート・バンデン・ボッシュ博士は、「パンデミックの最中に大量のワクチンを摂取すると変異株が猛威を奮い、感染が爆発する」と予測していたが、それが現実になっている可能性がある。ワクチンを打てば打つほど変異株を生み出し、いたちごっこになるかもしれない。

入浴死の9割は接種から5日以内に発生
取材の中で、コロナワクチンについては、ワクチン後の入浴が危険であるという話も耳にした。そんな話をしてくれたのは、関東の循環器内科医師だ。

前出の医師もそうだったが、今回の取材を通して、現在の日本の医療分野では、新型コロナワクチンのリスクを声高に語ることは医療機関や医師らに「負担を与える」ことになる。明らかに、リスクを自由に主張できない目に見えないプレッシャーが医療界を覆っているようである。

そこでこの循環器内科の医師は匿名を条件に、コロナワクチン接種後の入浴の危険性について、話をしてくれた。

冒頭の13歳少年、また昨年末にも11歳少年がいずれも接種4時間後に入浴死している。この医師は、コロナワクチン接種に含まれるLNPが炎症性サイトカインの増加並びに急性期の副反応を引き起こしている可能性があると指摘する。また「激しい運動や飲酒、喫煙、さらに日本人の習慣であるお湯に浸かる浴槽入浴は、炎症性サイトカイン放出を促進するために、接種直後の副反応を悪化させる可能性があります」と指摘する。

入浴については、厚生労働省がワクチン接種後の入浴は問題ないとしているが、この医師は、「入浴については、接種当日と翌日に死亡例が多く2023年1月までに報告された入浴死61例中、接種当日が12例、 翌日が31例認められています。(2023年1月の「厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会」や「薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会」のデータ)入浴死の9割は、接種から5日以内(61例中55例)に起きています。そのため、ワクチン接種から数日は入浴を避けシャワー浴、また体調不良の場合はシャワー浴も避けるよう推奨しています」と述べる。

最後に、新型コロナが蔓延してからも、数多くの遺体を解剖してきてきた法医学者で日本大学医学部の奥田貴久教授に話を聞いた。

奥田教授は、「日本病理学会や日本法医学会などは現在、ワクチン接種後に亡くなられた方の因果関係を検討するために積極的な解剖を推奨している。死因・身元調査法に基づく解剖なども整備されているので、活用してほしい」という。

「これまでコロナワクチン接種との因果関係が否定できないと感じる事例はあったが、脳梗塞や溶血(赤血球が破壊される現象)など様相は多彩でした。また最近では、ワクチン接種済みの人でも新型コロナ肺炎が重症化して死亡していたという事例を多く経験します。結局ワクチンを接種しても基礎疾患があれば重症化することがあるので、基礎疾患のコントロールこそが最重要なのです」

こう見ていくと、ワクチン接種に二の足を踏む人もいるかもしれない。ただ日本政府の河野大臣は、こうした指摘はナンセンスであると強く主張している。

日本政府の言い分を信じるべきか、ここで紹介したような医師たちが指摘する危険性を信じるべきか。コロナワクチンは難しい質問を日本人に投げかけている。



【動画】中継中のリポーターに突然の異変…これはワクチンのせい? 目はうつろ、ふらつく様子

現在繰り広げられるワクチンをめぐる議論は、推進派と否定派の間で平行線をたどり、ワクチンを打つべきかどうかの明確な答えを出せないでいる人は少なくないだろう。

日本政府では、元ワクチン大臣の河野太郎デジタル相が「(新型コロナのワクチン接種に反対する)運動を行っている方々のほとんどは科学的に根拠のない話を繰り返している。デマを通じて接種を妨げるのは慎んでいただきたい」(1/29の講演にて)という発言をしている。

そこで本稿では、逆にワクチンのリスクを指摘する医師に取材を行い、その根拠を聞いてみた。

実はこの記事をまとめるきっかけになったのが、2つのニュースだ。一つは、2023年1月に、厚生労働省がコロナワクチンを接種した後に亡くなった36歳~96歳の男女5人に、「接種が原因で死亡した可能性が否定できない」として死亡一時金を支給することに決めたという報道。しかも同様に死亡一時金を、これまですでに15人に対して支払っているという。

実は、「可能性が否定できない」としているケースと、そうでないケースでは、明確な線引きがなされていないと指摘されている。例えば、病理医が因果関係ありと判定した死亡症例ですら、因果関係不明にされており、医師ではない役員が審査していることも問題になっているという。

もう一つのニュースは、神奈川県で健康だった13歳の少年がワクチン接種した後に浴槽で死亡したという痛ましい報道だ。もしワクチン接種に危険性があるならば、それは国がなんと言おうと、決して看過せるものではない。

■医師が反対意見を述べにくい環境

そこで筆者は、医師に話を聞いた。「匿名なら」と取材に応じてくれたある医師は、国策であるワクチン接種に反対する意見を述べることを、所属医療機関や厚生労働省から歓迎されていないと言う。ただ「子どもが亡くなっている現実に、声を上げずにいられなかった」と言うことで、匿名で語ってもらった。

この医師がまず示したのは、ワクチン接種が世界的に早い時期から進められた「ワクチン先進国」で、新たに新型コロナに感染した人のうち、ワクチン接種者がどれほど含まれているのかを国ごとに調べた調査だ。

米国防総省のデータによれば、2021年8月28日にアメリカのワクチン接種率は51%だったが、同時期の新規感染者のうちワクチン接種者の占める割合は、71%に上った。さらに新型コロナ重症者のうち、ワクチン接種者の占める割合は60%だった。シンガポールでは、2021年9月12日時点で、新規感染者のうちワクチン接種者の占める割合は75%、重症者にいたっては、100%がワクチン接種済みだった(シンガポール保健省のデータ)。

ワクチン接種が早かったイスラエルでも、2021年~7月16日当時はワクチン接種率が56%だったが、新規感染者のうち接種者の割合は84%で、重症者で接種者の占める割合は79%だった。イギリスでも、英国公衆衛生庁のデータでは、2021年7月19日当時、イギリスの接種率は68%だったが、新規感染者のうち88.2%がワクチン接種済みで、重症者の66.1%も接種済みだった。つまり、こうしたデータが意味するのは新型コロナウイルス感染症の感染や発症、重症化を防ぐというワクチンの「有効性」に疑念が生じているということだ。


2023年1月31日火曜日

ウクライナ デヴィ夫人

ティモシェンコ氏がドバイ休暇 侵攻下で批判、公職者の外遊禁止に ウクライナ
1/31(火) 7:07配信 時事通信
 ウクライナのティモシェンコ元首相(62)が、新年休暇をアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで過ごしたと写真付きで報じられ、国内で批判を浴びている。
 汚職と並んで深刻な貧富の差を背景とした「不祥事」と言える。ロシアによる侵攻下で士気に影響しかねず、ゼレンスキー政権も対応に追われた。
 ティモシェンコ氏は、2004年に親欧米政権を誕生させた「オレンジ革命」の立役者。現在も野党「祖国」党首として、最高会議(議会)議員を務めている。
 27日の現地メディア「ウクラインスカ・プラウダ」によると、ティモシェンコ氏は、ヤシの木を模した人工島の五つ星ホテルに滞在。外部から見つからないよう「用心した」様子だったが、今月5日、ホテルの専用ビーチに出た短時間に写真を撮られた。首都キーウ(キエフ)に戻ったのは5日後だった。
 ティモシェンコ氏は1年前の新年休暇もドバイに滞在した。長女エウヘニアさん一家は、侵攻前にドバイへ移住し、今は欧州との間を行き来しているという。
 問題は野党だけではなく、ゼレンスキー政権与党「国民の奉仕者」も同様だ。動員令で男性が出国できない中、所属議員のタイ外遊計画が「公私混同ではないか」とやり玉に挙がった。
 折しも、最高検ナンバー2がスペインで休暇を過ごしたと報じられ、ゼレンスキー政権が24日に更迭したばかり。相次ぐ不祥事を座視できず、シュミハリ内閣は27日、公職にある者が正当な理由なく外国に渡航することを禁じた。
 ティモシェンコ氏の「遠征」について、ウクラインスカ・プラウダは、自国屈指の精鋭部隊「アゾフ大隊」になぞらえ「ドバイ大隊」と皮肉った。「侵攻開始後、富裕層や政治家が巨額マネーと共に移住した」とも記し、苦境にある国民と懸け離れていると問題視している。

デヴィ夫人の名指し「老害」に宗男氏猛反発「老害はあなた」「文句あるなら言ってこい」ウクライナめぐり批判の応酬
1/30(月) 18:13配信  FNNプライムオン
ロシアから侵攻を受けているウクライナを訪問し、支援物資を届けたタレントのデヴィ夫人(82)。

帰国後、ロシアに一定の理解を示す森喜朗元首相(85)と鈴木宗男参院議員(74)を“老害”などと批判したのに対し、30日、宗男氏が猛反発した。

「デヴィさんにね、あなたが老害じゃないですかと」

デヴィ夫人がツイッターで森元首相と宗男氏を「老害」と批判
日本政府が退避勧告を出しているウクライナ。デヴィ夫人は、首都キーウや民間人への虐殺があった近郊の町ブチャの病院などを訪問。防寒着やオムツなどの支援物資を届けた。

デヴィ夫人:
ウクライナを民主主義の墓場にさせることは絶対にできない。

デヴィ夫人がウクライナへの支援を行う中、森元首相は都内の会合で日本政府のウクライナ支援について「こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかなと。ロシアが負けるということはまず考えられない。そういう事態になれば、もっと大変なことが起きる」と疑問視するような発言をした。

デヴィ夫人は帰国後、ツイッターを更新し、森元首相とロシアと太いパイプを持つ鈴木宗男議員を名指しで批判した。

「森元首相と鈴木宗男は老害以外の何者でもない。プーチンと写真を撮ったから“トモダチの国”を非難するな、自分が日露の外交を拓いたから、と馬鹿を言う。」(デヴィ夫人のツイッターより)

鈴木宗男氏はデヴィ夫人から受けた批判について、FNNのインタビューに応じ反論した。

宗男氏「一般的な外交に立ち会っていない人とは訳が違う」
鈴木宗男参院議員:
デヴィさんにねそっくりのしをつけてあなたが老害じゃないですか?と言いたいです。今、「ウクライナ善でロシア悪だ」という竹を割ったような論調になっていますけれども、ケンカにはもともと何が原因かというその元があるのではないんでしょうか。私はその議論がないことが不幸なことだと思っています。

鈴木宗男氏はデヴィ夫人と直接会って議論したいと話している。

鈴木宗男参院議員:
私は逃げも隠れもしませんから、文句があるなら言ってこいと。歴史の勉強はあなたよりも私がしているということ。同時に政治家としてその外交の現場に立ってきたんだということ。一般的な外交に立ち会っていない人と訳が違うということを、私はきちっと説明したいと思います。

批判の応酬の今後が注目される。
(「イット!」1月30日放送)


デヴィ夫人 捨て身のウクライナ支援に賞賛続々!浮き彫りになる“ロシア擁護”森喜朗氏との差
1/26(木) 16:10配信 女性自身
「今のロシアの問題もそうです。せっかく積み立ててここまで来ているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかなと」

【写真あり】22日からウクライナに現地入りしたデヴィ夫人

1月25日、東京都内の会合で日本政府によるウクライナ支援に対して、こう異論を述べたのは森喜朗元首相(85)。

ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もなく1年。現在も民間施設へのミサイル攻撃によって多数の死者が出るなど、収束の兆しは見えない。

報道によると、ウクライナ情勢について、「ロシアが負けるということは、まず考えられない。そういう事態になればもっと大変なことになる。その時に日本が大事な役割をしなきゃならない」と主張したという森氏。

昨年11月にも日本維新の会の鈴木宗男参院議員(74)のパーティーで、「ゼレンスキー大統領は、大統領として多くのウクライナの人たちを苦しめている」などと痛烈に批判し物議を醸した。

しかし、今年のG7議長国である日本政府は、ロシアによるウクライナ侵攻を国際法違反と見なしている。岸田文雄首相(65)は昨年12月末の会見で、「欧州のみならずアジアを含む国際秩序の根幹を揺るがす暴挙」と批判していた。

森氏の発言を報じた共同通信の記事は、現在までにYahoo!ニュースで7800件以上ものコメントが寄せられ議論が巻き起こっている(1月26日15時現在)。

コメントには《森元首相に賛同します》《言っていることは正しい側面はあるよね》と理解を示す声や、《日本に軍事侵攻された場合も同じことを言うのか?》《元首相として公の場で発言すべきことでは無い》と批判の声も。

■デヴィ夫人は「ウクライナを負けさせるようなことはあってはならない」

いっぽう森氏以外に、ウクライナ情勢をめぐって注目を集めた同世代の人物がもう一人。それは“デヴィ夫人”ことデヴィ・スカルノ(82)だ。

使い捨てカイロや防寒着などの支援物資を届けるため、22日からウクライナに現地入りしたことが各メディアで取り上げられた。

「在日ウクライナ大使館に届けられた物資を現地に送るため、デヴィ夫人が代表を務める財団が協力することになったそうです。しかし、コンテナ輸送で届くのは2月下旬になるため、『一刻も早く届けたい』と感じたデヴィ夫人は自ら現地に赴くことを決意。使い捨てカイロや防寒具などをスーツケースに詰めて持参したのです」(テレビ局関係者)

デヴィ夫人の渡航を受けて、松野博一官房長官(60)は24日の会見で退避を呼びかけたが、国内では彼女の行動力に賞賛の声が相次いでいる。そんなデヴィ夫人は同日にInstagramを更新し、次のように主張したのだった。

《ウクライナを負けさせるようなことは決してあってはなりません!! それは、ウクライナを「民主主義の墓場」としてしまうことです》

“ロシア擁護”とも取れる発言で世間を騒がせる森氏と、ウクライナ支援に奔走するデヴィ夫人。同世代ながらも正反対の主張で注目を浴びる両者を、ネット上では比較する声が上がっている。

《デヴィ夫人と森喜朗、同じ80代でもこうも違うとはな》
《デヴィ夫人のウクライナ訪問と真逆の行動力…》

▲:老害はもちろん鈴木宗男と森喜朗。そして鈴木宗男の盟友が松山千春と佐藤優。



デヴィ夫人が元白鵬の襲名パーティーで“激怒の途中退席”騒動「こんな屈辱は初めてです」と怒った理由
1/30(月) 17:45 ニュースポストセヴン
 優勝45回など数々の歴代最多記録を更新した「第69代横綱・白鵬」の宮城野親方(37)が、1月28日、東京・両国国技館で断髪式に臨んだ。断髪式の後はホテルニューオータニで盛大なパーティーが開催されたが、その中には、支援物資を届けにウクライナを電撃訪問したことで話題のデヴィ夫人(82)の姿も。
「白鵬引退・宮城野襲名・披露宴」にはYOSHIKIや松山千春たちが出席し、鏡開きには小泉純一郎元首相や森喜朗元首相の姿もあった。豪華ゲストが集まって、生バンドによる演奏なども行われ、900人規模の大宴会となった。
 帰国から間もない中でパーティーに駆けつけたデヴィ夫人だが、いつになく不機嫌な様子で会場を去ったという。ひとりの参加者が証言する。
「“会場に3時間半もいたのに、一言も紹介されたり名前を読み上げられることもなかった”という点が夫人の逆鱗に触れたようです。どこでもVIP待遇を受けて当然のセレブですから、参加者900人のうち、ただの“出席者”扱いをされたのは心外だったのでしょう。

『こんな屈辱は初めてです』というようなことを言って、怒り心頭だったとか。主催者サイドの人が頭を下げても納得がいかない様子で、『もう帰りますから』と会場を後にしていました」
 デヴィ夫人は2019年1月に開催された白鵬の幕内1000勝達成祝賀会にも参加しており、宮城野親方との縁は深い。だからこそ今回の扱いに驚きショックを受けたのだろう。2019年の祝賀会も800人が集まる大宴会だったが、しっかりデヴィ夫人も紹介されたようで、〈遅くまで和気あいあいと楽しく過ごしました〉とご機嫌でブログを更新していた。
 今回の騒動の背景には、コロナ禍も関係しているのかもしれない。
「もともとパーティーの時間は18時半から21時を予定していましたが、終わったのが22時40分と1時間半も押してしまいました。この後にはアフターパーティーもあったようなので、参加者はスケジュールを調整するのに苦労したのではないでしょうか。
 大物ゲストが多数集まる900人規模のパーティーを仕切るのは大変でしょうが、それでも1時間半も押すパーティーは珍しいですよね。コロナ禍もあって、これだけの大きなイベントは久しぶりで、運営側もいっぱいいっぱいだったのでしょう。多くのVIPを含めて大人数が集まったのは、親方の人徳のなせるわざですが……。
 一言も紹介されなかったことに加えて、パーティー自体が長くなってしまったこともデヴィ夫人の怒りの背景にあるのかもしれません。予想外の長丁場は、ウクライナから帰国したばかりの疲れた体には負担が大きかったはずです」(前出の参加者)
 いくつかの不幸な原因が重なり、起こってしまった出来事。むろん、こんなことでデヴィ夫人と宮城野親方の縁が切れるはずがないだろうが……。

▲:森喜朗といい松山千春(鈴木宗男)といい、ロシアの味方が白鵬パトロンの主流ということなのだろう。モンゴルはロシアの仲間ということ。







2023年1月29日日曜日

千歳市の事故現場






https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230115/7000054254.html
千歳で乗用車と軽乗用車が衝突 1人死亡
01月15日 09時42分 NHK
 14日午後、千歳市の交差点で乗用車と軽乗用車が衝突し、軽乗用車を運転していた女性が死亡しました。警察は乗用車を運転していた75歳のアルバイト従業員を過失運転傷害の疑いで逮捕し、事故の詳しい原因を調べています。
 14日午後6時すぎ、千歳市新富3丁目の道道と市道が交わるT字路の交差点で、道道を南東に向かって走っていた軽乗用車と市道から右折してきた乗用車が衝突しました。
軽乗用車はこのはずみで道路脇の電柱にもぶつかり、運転していた苫小牧市のアルバイト従業員####さん(36歳)が意識不明の状態で病院に運ばれましたが、その後、死亡しました。
 警察は、乗用車を運転していた千歳市のアルバイト従業員、####容疑者(75歳)が安全確認を怠ったとして、過失運転傷害の疑いでその場で逮捕しました。
 現場は信号機のない交差点で、市道の側に一時停止の標識があったということで、警察は容疑を過失運転致死に切り替えて当時の状況を詳しく調べることにしています。



参照:
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1801C_Y4A610C1CC0000/
衝突巻き添え、自転車の高校生死亡 北海道・旭川
2014年6月18日 11:36
 18日午前8時20分ごろ、北海道旭川市末広7条4の丁字路交差点で、乗用車とRVが衝突し、近くを自転車で走っていた高校2年生の男子生徒も巻き込まれた。旭川市消防本部などによると、高校生が死亡、乗用車の20代の男女2人が意識不明の重体となった。RVの女性(75)にけがはなかった。
 道警旭川中央署などによると、現場は国道12号と道道が交わる信号のある丁字路交差点。RVが国道を右折しようとしたところ、対向車線から直進してきた乗用車と衝突したとみられる。
 乗用車は弾みで、自転車を巻き込み、近くの電柱にめり込んだ。
 サイレンの音を聞いて現場に来たという派遣社員の男性(34)は「血を流した高校生が担架に乗せられ、別の高校生がぼうぜんと見ていた」と驚いた様子で話した。現場はJR旭川駅から北に約6キロ。〔共同〕


https://www.asahi.com/articles/ASL3F4H23L3FIIPE00P.html
死亡事故の唯一の生存者、民事も黙秘貫く 遺族「無念」
渕沢貴子2018年3月14日 8時41分
 北海道旭川市で車の衝突に巻き込まれて高校生が亡くなった事故を巡り、遺族が運転手らに損害賠償を求めた訴訟で、被告の女性が具体的な証言を拒む方針であることがわかった。被告の女性は事故の当事者で唯一の生存者で、遺族は「事故の真相を知りたい」と証言を願っていた。
 事故は2014年6月、旭川市の国道12号交差点で直進車と右折車が衝突し、直進車に乗っていた2人と信号待ちをしていた旭川実業高校2年加藤健太郎さん(当時17)が死亡した。右折車を運転していた70代の女性は自動車運転死傷処罰法違反で旭川地検に送検されたが、嫌疑不十分で不起訴となった。
 原告側によると、女性は警察や検察の捜査にほぼ黙秘し、事故後も遺族に直接の接触はないという。加藤さんの遺族は民事訴訟で女性から事故の状況を聞けると期待しており、旭川地裁も女性の尋問を採用した。しかし女性側は、黙秘権を保障した憲法の規定を根拠に最高裁に特別抗告。抗告は退けられたが、女性側は地裁に上申書を提出し、出廷しても黙秘する方針を示したほか、女性を尋問せずに黙秘を前提に審理を進めるよう求めたという。
 民事訴訟法では、正当な理由なく訴訟の当事者が陳述を拒んだ場合、相手側の主張を真実とみなすことができる規定があるが、女性側は正当な理由があると主張するとみられる。加藤さんの両親は「親として唯一してやれるのが、真相を明らかにすること。息子は無念だろう」と話した。
 これまでの裁判では、事故の目撃者らが証言。女性が事故を回避できる可能性があったかなどが争点となっている。(渕沢貴子)


参照:
オービスで34キロの速度超過、24回の出頭要請を拒否…75歳の自称・看護師の女「写真に写っているのは、自分ではない」
1/25(水) 8:24配信HBC北海道放送
 2020年6月、北海道南部の長万部町の国道で乗用車を運転中、34キロ超過の速度違反をしたとして、75歳の女が逮捕されました。この女は、容疑後、24回の出頭要請を頑なに拒んでいました。
 道路交通法違反(速度超過)の疑いで逮捕されたのは、札幌市白石区菊水に住む75歳の自称・看護師の女です。
 この女は2020年6月7日午前8時すぎ、長万部町豊津付近の国道5号線で乗用車を運転中、時速60キロの最高速度を34キロ超過し、時速94キロで走行した疑いが持たれています。
 警察によりますと、女は、オービス=速度違反自動取締装置で検知されていて、鮮明な画像が撮影されていました。
 一般道路での30キロ以上の速度超過は、いわゆる「赤キップ」で、反則金だけでは刑事責任が免除されないため、警察は、文書や電話、さらに自宅訪問などで、合わせて24回にわたって違反を通知、出頭を求めてきましたが、女は頑なに拒んでいました。
 取り調べに対して75歳の自称・看護師の女は「写真に写っているのは、自分ではない」などと話し、容疑を否認しています。
 警察は、引き続き経緯などを詳しく調べ、容疑の裏づけをすすめています。

車が35m先まで「吹っ飛んだ」 猛スピードで車列に突っ込む 運転の75歳女性死亡 大阪・富田林市 1/30(月) 19:18配信 ABCニュース
 猛スピードで車列にぶつかった車。35メートル先まで飛びました。
 (羽島記者リポート)「猛スピードで走ってきた車は追突後、看板にぶつかり、35メートル離れた場所で停車したということです」。
 29日午後5時半ごろ、大阪府富田林市廿山の交差点で、「事故で車が吹っ飛んでいった」と通報がありました。
 警察によりますと、富田林市の会社役員・北村慶子さん(75)の運転する車が縁石にのりあげるなどして浮き上がり、信号待ちをしていた車2台に接触しながら飛び越え、約35メートル先まで飛んだということです。
 警察が付近の防犯カメラを調べたところ、北村さんが運転する車が、猛スピードで車列に突っ込んでいった様子が映っていたということです。
 北村さんは病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
 警察が事故の詳しい状況を調べています。

オービスで34キロの速度超過、24回の出頭要請を拒否…75歳の自称・看護師の女「写真に写っているのは、自分ではない」
1/25(水) 8:24配信 HBCニュース
 2020年6月、北海道南部の長万部町の国道で乗用車を運転中、34キロ超過の速度違反をしたとして、75歳の女が逮捕されました。この女は、容疑後、24回の出頭要請を頑なに拒んでいました。
 道路交通法違反(速度超過)の疑いで逮捕されたのは、札幌市白石区菊水に住む75歳の自称・看護師の女です。
 この女は2020年6月7日午前8時すぎ、長万部町豊津付近の国道5号線で乗用車を運転中、時速60キロの最高速度を34キロ超過し、時速94キロで走行した疑いが持たれています。
 警察によりますと、女は、オービス=速度違反自動取締装置で検知されていて、鮮明な画像が撮影されていました。
 一般道路での30キロ以上の速度超過は、いわゆる「赤キップ」で、反則金だけでは刑事責任が免除されないため、警察は、文書や電話、さらに自宅訪問などで、合わせて24回にわたって違反を通知、出頭を求めてきましたが、女は頑なに拒んでいました。
 取り調べに対して75歳の自称・看護師の女は「写真に写っているのは、自分ではない」などと話し、容疑を否認しています。
 警察は、引き続き経緯などを詳しく調べ、容疑の裏づけをすすめています。






 朝起きて、吹雪いていたら止めようと思っていたのだけれども、あまりにもいいお天気で、風もなく、気温はマイナス5度くらいだったけれども日差しは強く(!)、こんな日を逃してはいけないと思って千歳市の死亡事故現場に出かけることにした。
 ちょうど2週間前の日曜日のことである。午後6時過ぎだったというから、すっかり暗くなっていたはずである。18歳と8歳の二人の娘を乗せて軽自動車を運転していた36歳の母親は千歳市の片側2車線のメイン道路を運転していた。と、突然、右側から乗用車が飛び出してきて前に入ろうとした。軽自動車は乗用車の助手席側側面に当たり(乗用車の後部に当たったのではない)、その弾みで左に流れ、街路灯の柱に激突した。
 幸い、二人の娘に怪我は無かった。しかし、運転していた母親は意識不明で病院に運ばれて病院で死亡が確認された。即死状態だったのかもしれない。
 軽自動車は「走る棺桶」と言われる。私は「走るダンボール箱」だと思っている。構造のしっかりしている普通車ならば、街路灯に衝突しても運転手が死ぬようなことは無かった、と思う。
 36歳で18歳の娘がいるということは、この母親は18歳のときに娘を産んだということである。そして8歳の娘もいる。夫がいるかどうかは報道されていないので不明だけれども、いずれにしても楽しく懸命に二人の娘を育てていたのであろうと推測できる。二人の娘を立派に育てて、その成長を日々楽しみに生きていたとして、その幸せを一瞬にして奪ったのが、この75歳の老人運転手である。
 今日、現場を見てきた。75歳の老人が飛び出していったであろう場所には一時停止の標識もある。ここから「2車線をまたいで」無理矢理軽自動車の前に割り込もうとしたのだろう。
 現場は緩いカーブになっていて、
 

2023年1月22日日曜日

翻訳者・池田真紀子


 本棚を整理していたら、2009年(というから911テロの前)に出版された、
Beat the Reaper by Josh Bazell
 という本が出てきたので、なんとなくそれを読んでいた。本の半分ほどからは図書館で訳書が手に入ったのでそちらを読む。(2009年刊新潮文庫『死神を葬れ』)
 訳文と原文の雰囲気の違いに違和感を覚えるのは当然として、ところどころ「テキトーな訳」があったので、それを記録しておく。
 かといって、翻訳者の池田真紀子が「2023年度ダメ翻訳賞」を受賞するほどヒドイ訳者というわけではなく、一つの言語から別の言語に小説を移し替えるということはある意味不可能なことなのだと思わされただけのことである。
 たとえば、こんな文章。


(P-89) Speaking medically, the strange thing about my decision to let a fictional, supernatural agency choose the course of my life - as is the universe had some sort of consciousness, or agency - is that it doesn't qualify me as having been insane. The Diagnostic and Statistical Manual, which seeks to sort out the vagaries of psychiatric malfunction to the point where you can bill for them, is clear on this.

(P-145) 医学的見地から言えば、架空の超自然的な力に人生の進路決定を一任するーまるで宇宙には意識とか能動的な力といったものが備わっているかのようにーという僕の決断の奇妙なところは、それだけでは精神を病んでいるとは見なされないということだ。精神疾患の気まぐれな症状を体系的に分類し、診断基準を確立することを目的とした『精神疾患の分類と診断の手引(DSM)』は、その点について迷いがない。

to the point where you can bill for them は全く訳すことなく、「診断基準を確立することを目的とした」などというどこにもない文章を捏造して訳文を作っていることに驚く。
バゼルは @作成途中


(P-96) Compared to these, the casually evil museum plaques - on which "Polish" has been scratched off "Polish Jews," and the National Socialists are said to have been "reacting to an overrepresentation of Jews in business and the government" - barely get to you.

(P-157) その光景の衝撃は、そのかたわらからさりげなく悪意を突きつけてくる銘板ー”ユダヤ系ポーランド人”の”ポーランド人”の部分がこすり消され、代わりに”ナチスは、実業界や政界にユダヤ人が不釣り合いに多すぎる状況を是正しようとした”だけだと言われているという落書きがされているーに憤るゆとりさえ奪う。




(P-137) Duke Mosby, when we find him, is on a flagstoned pavilion overlooking the Hudson from the heights of Riverside Park. It's a hell of a view, but the river's charging heavily for it, spitting back a wet and flurrying wind. The kind you can feel through the vents in your plastic clogs.

(P-220) デューク・モスビーは、リヴァーサイドパークの丘の上の、ハドソン川を見晴らす石敷の展望台にいた。景色は息を呑むほど美しいが、見物料はぼったくりだ。川から雪交じりの突風が吹きつけてきている。プラスチックの〈クロックス〉の通気孔越しにもわかるくらいの冷たい風だ。




(P-143) So maybe it's understandable that Skinflick felt unable to step in front of a parade that went thousands of years back. It still made me kind of sick, though, and the humidity didn't help. At one point I took the long way back from the bar to have some time away from him.

(P-228) だから、スキンフリックが数千年の昔から続くパレードの先頭に立ちふさがるなんてとてもできないと考えたとしても無理はない。それでも、やっぱり何とも言えず焦れったかったし、空気が蒸し蒸ししているのも不快だった。そこでスキンフリックからしばし解放されようと席を立ち、はるかかなたのドリンクバーまで飲み物をもらいにいった。



(P-261) Judge me if you want. Judge her and I'll break your fucking head. You'll learn about the primordial when it enters your living room. The sharpness and the richness of Magdalena's pussy, the nerves down my spine that were receptive to no other stimuli, made the ocean seem weak. They meant life.

(P-414) 僕を不謹慎と罵りたければどうぞ。だが、マグダレナを悪く言ったら、その頭をかち割ってやる。きみの家のリビングルームに本能がやってきたら、きみだって本能についていやでも学ぶことになるだろう。マグダレナのプッシーの鋭敏さと豊かさ、僕の背筋を通る、ほかの刺激にはいっさい反応しない神経の前では、大海原の力さえちっぽけなものに思える。プッシーと神経ーーその二つは生命を意味していた。


”Beat the Reaper is way cool and ice-cold. A ferocious read." Don Winslow, author of The Dawn Patrol

池田真紀子 1966年東京生まれ 上智大学卒業 ディーヴァー、キングなど多数の翻訳書を出している。

2023年1月21日土曜日

駄目カレー


 ハウスカレーも、こうした不味いものを売っていることがあるので、気をつけることにする。

電子レンジで温めるカレーは総じて不味いけれども、これは内容も含めて最低ランク。


2023年1月4日水曜日

近くのラーメン屋



店の音楽が酷くて呆れてしまう。

しかも、大音量なので、とても食事するような環境とは、私には思えない。ラーメンが美味しいとか不味いとかいう評価の前に、この店はダメだと思う。もちろん、64歳の老人には耐えられない音楽?でも、若者は大丈夫なのだろう。