2/24(木) 11:01配信 FLASH
「トラウデン(都仁)さんが言ってしまったことは仕方がない、そういう人なんでしょう。ただ生放送ではないのですから、コンプライアンス上問題があるならカットしてしまえばいい話です」
まったくそのとおりで、内容の是非はともかく番組サイドで対応できる話。それについて、記者はこう続けた。
「現場の一部、とくにベテランの中には、いまだにヘイトをおもしろがる土壌があるのは否定できません。昔は許されていたので、いまだにブラッシュアップできていない“おじさんたち”の判断で流してしまったのでしょうか」
身体的、性的な障害を差別的におもしろがる文化が昭和のメディアに根づいていたことは否定できない。そして、それをおもしろがる視聴者もいた。しかし現代は違う。組織やスポンサーは毅然と対処する。日本人の多くもまた、自身の身長の高低やバストのサイズとは関係なしに「それはいけないこと」と声を上げる。自分の力でどうにもならない特定のハンディキャップや、身体的なコンプレックスをあげつらってはならないことは、すでに常識なのだ。
「視聴者が喜んでくれると思えばリスクは負いますけど、今回の内容は完全に(身体上の)ヘイトですからね、いまの時代、炎上するに決まってます」
実際、当の番組出演者の間でもあきらかに空気が変わっていたという。
「『これはマズい』って空気でしたね。しかし、トラウデン(都仁)さんが180cmあるという理由で『(身長が高いことは)人権しかありません』なんて、ほかの出演者の声も入ってましたが、これもカットしてませんでした」
こうした発言には、現場の混乱と気の緩みも一因だったという。
「この放送は、松本人志さんと東野幸治さんが新型コロナ感染による影響で代役が立てられたなかでの収録でした。なので、そもそも現場が混乱している状態でした。とくに、東野さんがあの難しい番組を仕切っている。彼がいないと現場が引き締まらないんですよ」
現場レベルで考えれば編集事案だったはずが、そのまま放送されてしまったということか。
「誰も得しない結果になってしまいました。もう差別をおもしろがったり茶化す時代ではないんですが、古いテレビマンの中にはいまだに視聴者なんてそのレベル、と思ってる人もいるんですよ」
今回の件で、ごく一部の古い価値観の人とアップデートされた多くの日本人との相違がますます浮き彫りとなった。「誰も得しない」とはそのとおりで、もう多くの視聴者は、こうした発言を求めていない。かつての「楽しくなければテレビじゃない」のフジテレビ、もうヘイトを「楽しい」と感じる視聴者なんていないと思ったほうがいいはずなのに。
端緒となったゲーム界隈はもちろんだが、報道する側にもいっそうのアップデートが求められている。
日野百草
ノンフィクション作家、俳人。 1972年、千葉県野田市生まれ、日野市在住。日本ペンクラブ会員
トラウデン都仁 170センチ人権騒動「燃やしているのは70以下の方なんでは」発言で波紋
2/20(日) 19:10配信 東スポ
モデル・トラウデン直美の弟でタレントのトラウデン都仁(19)が20日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演。プロゲーマーによる「身長170センチ以下は人権なし」発言問題に私見を述べた。
【写真】トラウデン都仁の姉・トラウデン直美
人気プロゲーマーのたぬかなは「170(センチ)ないと、正直人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら生きていってください」などと配信中に発言。予想通り大炎上し、所属チームとの契約解除となった。
代役MCを務めた「A.B.C―Z」の河合郁人が「僕はすごいショックを受けました。プロフィル170センチなんですけど、実際は168センチ」と明かすなど、出演者それぞれが意見や感想を話す中、振られた身長180センチの都仁は「僕は高校時代に『〇〇は人権ない』って言う友達がいたんですよ。ブラックジョークが大好きな友達だったんで、ジョークとして言っていた。面白がってたということがあったんで、『人権ない』って言葉が取り上げられて、あっ、やっぱ問題になるんだなと、改めて思ったというのがあった」と自身の経験を踏まえて明かした。
その上で「ブラックジョークとして楽しむ分には、まあ人によってはまあ楽しめるものなんではないかな、と思うんですけど」と話し、その上で「身長を気にしている男性はすごく多いと思うので、今回の炎上で燃やしているのは、ほとんどの人が70(センチ)以下の方なんではないかなと」と語った。
スタジオは和気あいあいとしたムードだったが、放送終了後にネット上は大荒れ。たぬかなの炎上が飛び火してしまった。
▲:この阿呆は京大教授の息子であるという。息子の愚劣な発言を、ドイツ人のこの父親はどう思っているのだろうか?
それにしても、番組のスポンサーは何の反応もしていない。つまりは、この阿呆の味方、ということなのだろう。