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2021年4月29日木曜日
2021年4月23日金曜日
老人の無駄足
横断するなら、途中に街で買い物をすることにして、駐車場に車を入れることにした。ならば、大通り公園にも行ける。古くなったパンや、冷凍していて長期間経ってしまった御飯などを大通り公園の鳩たちにやることにした。観光客が激減して、大通り公園の鳩たちも困っていることだろう。ここはひとつ、エサをやりに行こう、と。
さて、街で買い物を終えて、テレビ塔の下までやってきて、鳩にエサをやることにした。ベンチに腰掛け、リュックのファスナーを開いて中をゴソゴソする。その見覚えのある姿に、一匹の鳩が早速私の足元にやってきて、何か食べ物が与えられる期待に胸を膨らませてチョコチョコと歩き出していた。
ところが、リュックを探っても、パンと御飯を入れたビニール袋が見当たらない。リュックの中身を全てベンチに出してみたけれども、無いのである。つまり、肝心のビニール袋を、家のテーブルの上に置き忘れてきた、というわけ。
足元を歩き回っていた鳩は、チッと舌打ちをして「老いぼれジジイ」と悪態をついてから、どこかへ消えてしまった。
最近、物忘れが多くなったのである。記憶障害だけではなく、物理的な「物」をあちこちに忘れてくるようになった。こうして鳩にまでバカにされるようになってしまった。
気を取り直して、西区西野にある『櫻島』まで行く。昼食の時間帯には行列のできる店だけれども、午後4時前後のその時間には私の他には客は一人もいなかった。ラーメンを食べたあと、店の大将に声をかけた。
「先日函館に行ったときに、『櫻島』の店を見つけたけど、あそこはお弟子さんが開いたの?」
すると大将は(この大将のラーメンを私は少なくとも30年以上は食べている)嬉しそうににっこり笑って、
「息子がやってるんですよ」
と答えた。
ラーメン櫻島・函館五稜郭店、である。私が行ったときは日曜日の夜だったので閉店時間を過ぎていた(日曜は午後8時)が、今度函館に行ったときには入ってみることにした。
鳩にはまた日を改めてエサをやりに行くことにした。
墓地散歩 赤平市
先日、赤平市付近を車で走行。
その時、助手席にいた私が撮った写真が上にアップしたもの。墓を守るように、金色の犬の像がある。以前からここにあるのを知っていた。墓に立つ犬の像は、この赤平市、そして月形町と福島町にある。ヨーロッパやアメリカの墓地をあちこち見物している私だけれども、「犬の像」を人間の墓石の横に据えているのは日本だけである。
2021年4月17日土曜日
釧路・尾岱沼・網走・北見・紋別
風蓮湖の白鳥 |
オーベルジュ北の暖暖内のレストランの一つ |
釧路 イタリア料理店 RI-CASA |
尾岱沼温泉シーサイドホテルの夕食 |
オーベルジュ北の暖暖の全体像 |
釧路センチュリーキャッスルホテルの食堂 |
オーベルジュ北の暖暖の玄関横で 宿泊者に挨拶してくれる北海道犬 |
尾岱沼の夜明け |
オーベルジュ北の暖暖 |
先日、釧路、尾岱沼、網走を旅してきた。
釧路のセンチュリーキャッスルホテルに泊まるのは、これで3回目。釧路市内では最も「ちゃんとした」ホテルだと思う。とは言っても、釧路の全てのホテルに泊まったわけではないけれども。
札幌から帯広へ。帯広の『インディアンカレー』でいつものようにカレーを食べて、浦幌の道の駅に寄り、大量の鮭トバを買う。その後、白糠経由で釧路へ。
夕食は幣舞橋近くの繁華街に出た。『炉ばた』で食べようかとも思ったけれども、焼き魚というよりはイタリアンが食べたかったので、初めての店、『RI-CASA』に入る。どれも美味しかったけれど、ソフトシュリンプのフリットが特に美味しかった。
いつものように楽しい朝食をキャッスルホテルで取ってから厚岸町へ。ここの道の駅で休憩してから風蓮湖へ。走古丹先端まで車を走らせる。四駆なので不安は無かった。
風蓮湖を出て北上し、今度は尾岱沼へ。尾岱沼の半島(?)は、途中から関係者以外侵入禁止となっているので、諦めてネイチャーセンターに戻る。観光客は全くいなかった。
尾岱沼温泉シーサイドホテルにチェックイン。ケチって(本当に)、尾岱沼眺望側の部屋ではなく、街側の部屋を予約していたのだけれども(値段が安くなる)、その部屋は喫煙可の部屋だったため、気絶したくなるほどひどい臭いだった。料理や温泉は総じて良かったのだけれども、このホテルに来ることはもう二度とないだろうと思った。禁煙部屋は少なく、建物全体からタバコの臭いがしているような印象だった。
美幌峠を超えて美幌町へ。
お腹が空いたので昼食を取ろうと思った。いつもなら、グーグルマップで、「イタリアン」と検索をかけて、現在地近くの店に入るのだけど、前日の夜もイタリアンだったので、蕎麦屋に入ることにした。美幌の有名な蕎麦屋『かね久総本店』。35年ほど前は、よくこの店に(店舗はこの位置ではなかったけれども)入った。当時、「北海道で一番売り上げの多い蕎麦店」として有名で、実際蕎麦も美味しかった。ところが、その後、店舗を移転し、同時に(?)蕎麦の味も坂道を転げ落ちるように落ちていった。(個人の感想です)
そんな蕎麦屋になぜわざわざ入ったかというと、35年前、というか恐らく20年くらい前までは「マトモ」だった店が、こうも無残になってしまったということを「確認」してみたいから。実は、3年前にもこの店に入り、こんなになっても店って持ちこたえるものなんだなと驚いたことがある。
今回は、ざる蕎麦と豚丼のセットを注文した。豚丼は、人様からお金を取って売るようなレベルの品物ではなく、家庭の普通の主婦だってもう少しまともなものを作れるだろうといったレベル。(あくまでも個人の感想です)
蕎麦は、どこかのクチコミにもあったように、緑色の素麺のような感じで、蕎麦を食べている感覚はない、もちろん、蕎麦を食べている歓びなどは全く感じられない。
不思議なのは、こうした店が今もって「繁盛している」こと。つまり、「私の個人の感想」とは全く異なる判断をしている人が大勢いるのだろう。だからといって、私が自分の判断を変える必要もなければ、自分のブログでも書きはしないというような決心をする必要もない。
気分が悪くなるような酷い蕎麦を食べたあとは、同じく美幌町にある『ペパーミント商会』に行く。
ペパーミント商会 https://kitamihakka.com/
以前は、森の中というか原野の中にあるこの「会社」は、ちゃんと看板も出して、店舗として商品も置いていたのだけれども、今回行ってみると、看板は外されていた。だからといって、商売が傾いたということではなく、コロナの影響もあってミント需要が高まり、殆どネット注文で販売するようになったのだという。だから、この原野の中の店舗はもう宣伝していないし、幸い少し置いてあった商品を2個購入できたけれども、これからはわざわざ「生産拠点」まで来る必要はないようだった。銀色のドラム缶(200リットルは入るのだろう)が幾つもあり、建物の中はミントの匂いが充満していた。そこにいるだけで、鼻腔が空っぽになり、目からは少し涙が出てきた。
北見に行き、柄にもなくケーキのお土産を買う。
山の師匠(女性84歳)も、お父さん(山の師匠の旦那さん88歳)も元気だったので、ひと安心。浦幌で買った鮭トバとかその他のお土産も置いて、1時間ほど楽しく話をしてから網走へ。
網走の宿は、『北の暖暖』。吉永小百合、豊田章男などといった有名人も泊まったオーベルジュである。http://kitanodandan.com/
吉幾三の達筆な書を壁に飾っていた。
網走湖を見下ろす風呂は爽快だった。もちろん、料理も美味しかった。少なめの量にしたのだけれども(もちろん安くなる)、62歳の私には「少なめ」がちょうど良かった。
翌朝は、札幌に向けて出発。
途中、遠軽に寄り、瞰望岩に登る。
駐車場が頂上直下にあり、登るといっても4、5分坂道を登るだけである。小学生の頃、何度も父や母、そして姉とこの岩に散歩に来たことを思い出す。あの頃は、近くにある大きな『太陽の丘公園』(コスモス畑が有名)などはなく、どこまでも森が続いていた。私は遠軽東小学校に入学し、その後紋別、滝上と引っ越ししてから、再び遠軽に戻って遠軽東小学校を卒業した。だから、入学も卒業も同じ小学校ということになる。
それから遠軽東中学に入学したのだけれども、一月も経たないうちに札幌に引っ越しし、それから以後今に至るまで52年間ずっと札幌暮らしである。
今では遠軽に寄る楽しみの一つは、イタリア料理店『トレモロ』に立ち寄ること。ここは、父親がシェフ、娘がデザートを作っている店である。
ガーリックトーストやカルボナーラ、そしてトマトとモッツァレラのカプレーゼはとても美味しかったのだけど、クリームコロッケは残念ながらinsipidだった。写真写りはいいのだけれども、食べてみるとがっかりする一品である。
遠軽まで自動車道路が伸びていて(今回初めて利用した)、その入り口にはスキー場と合体した『道の駅』ができていた。ゲレンデのレストハウスと道の駅の合体。
遠軽から愛別まで一気に走り(無料区間)、そこからはひたすら275号線を運転して札幌に戻った。
家の風呂が壊れたままなので、帰宅してすぐに国道36号線沿いにある健康ランドまで運転し、風呂に入ってそこのレストランで刺身定食の食事を取ってから家に戻った。
2021年4月11日日曜日
函館
2016年まではロワジールホテル函館として運営されていた 現フォーポインツホテルバイシェラトン函館 |
ラビスタ函館ベイの隣には、いつの間にかコメダ珈琲店ができていた |
フォーポインツバイシェラトン函館の朝食(洋食) |
フォーポインツバイシェラトン函館の朝食(和食) |
福島町役場の二階に飾られている千代の富士 |
新島襄も自分が設立した大学が 女子学生を騙して売春させるキャンパスとなっていることに 泣いていることだろう |
福島町の居酒屋『留』で取った昼食 |
福島町の墓地 |
函館駅で買ったお弁当 |
福島町の墓地で こうした墓石のデザインは珍しい |
珍しく、というか、初めてJRを使って函館を往復。函館で2泊、松前で2泊。函館では、五稜郭近くのSホテル。松前は矢野旅館に宿泊した。両方とも知り合いが手配してくれた宿で、私が選んだものではない。
Sホテルの部屋(402号)では、常時天井から水の流れる音がした。エアコンの送風口からはっきり聞こえるので、何かそれと関係した音なのか、まるで大きなマンションの総下水管の真下にでもいるかのような感覚。もちろん、眠れるような状態ではないのだけれども、そしてフロントに苦情を言って部屋を替えてもらってもいいレベルの騒音だったのだけれども、知り合いが手配してくれた手前、それも言い出しずらいので我慢した。
ふと、松尾芭蕉のこの俳句が頭に浮かんできた。
〈 蚤虱馬の尿する枕もと 〉
ずーっと馬の尿の音に襲われている感覚に囚われた。
古いホテルなので、水回りがおかしくなっているのだろう。グーグルマップでこのホテルのクチコミを読むと、水回りの音がうるさい、というものもあったのだけれども、かといって部屋を替えてもらったというわけでもなさそうである。つまり、他の人には「我慢可能な」騒音なのかもしれず、だとしたら私も我慢してみなければならないだろう。
ここは一つ、松尾芭蕉の「蚤虱馬の尿」を追体験するつもりで頑張ろう、と思った。
しかし、やはり、我慢できないほどの騒音が続く。あいにく耳栓を持ってきていない。ひょっとしたらコンビニにあるかもしれないと思い、夜11時頃になって服を着て外出する。
二軒回ったが、コンビニでは耳栓など売っていない。代わりに酒を買ってきて、酔って眠ることにした。こんなことをしていたなら、また痛風発作を起こすかもしれないという不安に少し脅えながら酒を飲み、水回りの騒音のもと、酔って眠りに落ちた。
翌日は、ふと思いついて、ステレオイヤフォン(列車の中でポータブルCDプレイヤーを使っていた)を耳に入れてみた。すると、殆どといっていいほど、水回りの騒音は聞こえなくなり、快適に眠ることができた。どうして前の晩、こんな単純なことに気づかなかったのだろうと自分を詰った。
松前の矢野旅館は地元では一番大きくて有名な温泉旅館である。ただし、内風呂は深さ温度共に良かったのだけれども、露天風呂の湯船がとても浅く、しかも湯温がぬるかった。松前の桜見物に観光客が大勢訪れて、旅行会社も団体旅行客を連れてくるのだけれども、松前町ではほとんど宿泊することがないのが解るような気がした。
矢野旅館では食事を取らず、旅館の前にあるセイコーマートで弁当を買って食べる。適当なレストランがこの町には無いので仕方ない。セイコーマートのいわゆるコンビニ弁当がこんなに不味いとは知らなかった。特に、あんかけやきそば、と銘打った食物は今まで食べたこの類のもので最も不味かった。セイコーマートの社長はこれをヒトクチでも食べたことがあるのだろうか。
昼食は、福島町にある「居酒屋留」(美味しかった)、と松前町にある「手打ちそば おぐら」(実直そうな老夫婦がやっていた)で食べた。
福島町の町役場の中には、円空仏が展示されているので、それを見物。
この町役場の二階には、全勝優勝したときの千代の富士(この町の出身)の絵が飾られていた。あの、国技館の天井に飾られていた絵である。
役場から歩いてほんの3、4分のところには墓地が続いている。そこを見物。墓石に桜の絵を彫り込んだだけの(横に確か何々家と小さく彫ってはいたと思う)ものや、大きな犬の彫像を据えたものなどがあって見ていて飽きなかった。
函館の西波止場に「さきいか」を買いに行ったのだけれども、お目当のものは売っていなかった。保存料を使わない、賞味期限が1週間くらいの「さきいか」を製造販売している店があったのだけれども、機械だけは見えたがブースの中はもぬけの殻で、棚に売っていたさきいかは、どれも保存料をたっぷり使った半年は「賞味期限」の続くものばかりだった。
9時の開店と同時に西波止場の広い(広大な)マルシェに入ったけれども、買い物客は私一人だけだった。武漢ウイルス禍以前は、いつ行ってみても100人200人の人で賑わっていたのに、ゴーストタウンのような雰囲気だった。
観光業が壊滅的ダメージを受けているというのに、ベイエリアには幾つもの新しいホテルができていた。ラビスタ函館ベイの下を歩いて函館駅に向かった。
このホテルには一度だけ泊まったことがある。朝食時間が始まる前には、何十人もの宿泊客が列に並び、その客たちをまるで牧場の牛たちのように整列させて並ばせていた従業員を思い出す。慣れた雰囲気だった。時間になると、血気だったそれらの客たちがほとんど一斉に会場へと雪崩れ込む。イクラやその他の海産物などを取り囲み、地獄の『餓鬼たち』のような顔つきをして飽食へと突き進む。そう、本当に、『餓鬼たち』なのである。そして何よりもショックを受けるのは、自分自身もその『餓鬼たち』の一人、あるいは一匹になってしまっていることに気づかされることである。
ということで、ラビスタ函館ベイには二度と行かない。
このホテルが悪い訳ではない。ああした朝食会場の地獄風景が嫌なのである。
ただし、このホテルの温泉は全く勧められない。
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